何事も繋がっているということ。漢字とわたし。
漢字が苦手だ。漫画や小説を読むので、読めない漢字は少ないが、いざ書こうとしても、全く出てこない。
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社会人一年目、書記という大役を授かった。会議の内容をホワイトボードに記載して、それを議事録にまとめてみんなにシェアする大役である。
毎週月曜日の午前中に部内全体の会議があった。プロジェクトの進捗内容と、それ以外の事務的な通達を各人報告し合う会議だった。
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月曜日は憂鬱だった。
なぜなら、書記なのに、漢字が全然書けないから。
今考えてみれば、事前にアジェンダをもらう方法や、その場でパソコンに繋いで、打ちながら進行するなどあるかと思う。
しかし当時は、その、ホワイトボードにペンで発言をみんなの前で書くという手法に全く疑問を持たなかった。
これが、物凄く怖かった。
難しい漢字ならまだしも、【調整】や【技術】など一般常識的な漢字も書くのが危ないわたしとしては非常にプレッシャーに感じていた。どんなにかしこまった報告があったとしても、ホワイトボードに書かれるのは、
『〇〇部とちょうせい』
『ぎじゅつの面からけねん有』
など、小学生のレベルの文言が並ぶ…
と思うと耐えられない…。
そう考えて、少なくとも前回の議事録を持って臨むようにした。分からない漢字があってもカンニングしながら何とか進めていたように記憶している。
どうしても、わからない漢字が出てきてしまった場合は、せめて『ひらがな』で書くのではなく、『カタカナ』で書くようにした。
ほんの少しだけど、アホさが薄まったように思えた。
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絵だけ描ければ、絵描きになれると思っていたし、センスさえあればデザイナーになれると思っていた。しかし、それは社会人としてあたり前のことができている前提での話だと思う。
やはり漢字が書けることや、字が上手いことは大事で、小学校の先生が『大人になってこれぐらいは出来ないと恥ずかしいよ』と教えてくれたことは、きっと裏切らない。