ドラえもんの定義(後編) ドラえもんの定義とは
ドラえもんの定義を私は下記のように置いています。
「みんなが、ドラえもんと認めてくれたらドラえもん」
これなら、誰かが出来上がったドラえもんを認められないといった心配はありません。なぜなら、誰かが認められなかったら、ドラえもんではないわけですから。
みんながドラえもんと認めるための「関わり」
ある日突然、「これがドラえもんです」といってロボットが売り出されたとして、それを世の中の人がみんなドラえもんとして認めてくれるということが起こりえるでしょうか。
どんなに高性能でも、どんなに見た目がアニメや漫画のドラえもんそっくりでも、その唐突なドラえもんの誕生に抵抗感を覚える人が少なからずいると思っています。そもそも、自分が関わってみないとドラえもんと認められるかなんてわかりません。
そこで重要なのは人とロボットの関わりです。関わってみないとドラえもんと思えるかわからないなら、関わってみればいいのです。
あるロボットと関わりあう中で、徐々にそのロボットをドラえもんであることを認められるようなれる、そんなロボットができたら、ドラえもんと呼んでもいいのではないでしょうか。
長期的な関わりでドラえもんに確実に近づく
ある完成形のロボットとの関わりの中で、ロボットをドラえもんと認められるようになることは重要です。
ですが私はより長期的なスパンで人とロボットが関わり、ドラえもんと認めてもらうことを推進しようと思っています。
現在開発中のロボットを、未完成でも積極的に社会に送り出して、徐々にドラえもんに近づけていく。例えば社会の中で学習したロボットが、さらに賢くバージョンアップして、また社会に溶け込んでいく。そうした、ロボットを介した開発者と社会の長期的な関わりを作ることで、社会のドラえもん像と開発者が作るドラえもんのすり合わせをしていくのです。
とある開発者の手からドラえもんが生まれるのではなく、社会の中で、みんなの手からドラえもんが徐々に誕生していくビジョンです。
私が作っているミニドラを目指したロボットは、その出発点です。
まだまだ未完成なロボットだけれど、少しずつ社会に溶け込みながら、社会と関わりながら、ロボットが成長する姿を見せられればいいなと思っています。そしてこのロボットの先に出来上がるロボットが、多くの人にドラえもんと認めてもらうことを目指しています。
一風変わったドラえもんを実現した例
少し話は変わるようですが、私は2018年に一風変わったドラえもんを2つ見ました。
1つは、ドラえもん展に展示された、たくさんの、多様なドラえもんたちです。ドラえもん展では,多くのアーティストが思い描いた想い想いのドラえもんを目の当たりにして、ドラえもんは多様な解釈をされる余地を持っているのだなぁとしみじみと思いました。
もう1つは、『映画ドラえもん のび太の宝島』の主題歌。星野源さんの歌う、その名も「ドラえもん」
自分の場合、言ってしまえば自分が作ったものにドラえもんという名前をつけることをゴールにしているわけですから、こういうドラえもんの実現方法もあるのかと、感心した次第でした。
高い技術で素晴らしい人工知能やロボットを作ることもドラえもん実現のために必要な要素ですが、人々にドラえもんと認めてもらうための工夫となるとそれ以外にも取り組むべきことはたくさんあるように思います。ドラえもん展や主題歌「ドラえもん」は、技術以外のドラえもん実現の要件のヒントを私に与えてくれているように感じました。