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運命とか立命とか宿命とか⑫

人工呼吸器をつけての退院となり、退院に向けての準備が始まりました。それまで、在宅用の人工呼吸器を持ったことがなかったので、色々な方にご協力を頂き、時間をかけて準備していくことに驚きました。
帰宅する前に、主治医や看護師や訪問看護師、相談員、呼吸器を取扱う企業の担当者、ME(人工呼吸器などの医療機器の 貸出管理、点検・修理、部品管理、清拭、機器メーカーへの修理依頼等の機器管理業をする人)が家に来て、呼吸器を置く場所、息子のベッドの位置、家の電力状況、電源の位置など色々と確認をしに来てくれました。そして別日には、訪問看護師とお風呂の入れ方などを検討し、介護用の湯船を用意しました。
4月に入り、退院の日が決まると、病院から家まで看護師が1人付き添いをしてくれて、無事帰宅することが出来ました。
たまたま折り畳みができるバギータイプの車椅子から、折り畳みのできない車椅子に変更する時期になっていて、新しい車椅子には呼吸器と酸素ボンベが乗せられました。バギータイプの車椅子のままでしたらこれらが乗せられませんでした。また、ちょうど、福祉車両を購入し、納入される時期にもぶつかり、退院にはちょうど間に合いました。バギータイプの車椅子だったら折り畳めないので、この福祉車両が来ていなかったら息子を乗せて帰れなかったのです。
偶然にも車椅子と福祉車両が用意できたことは、奇跡的でした!

帰宅後、しばらく毎日訪問看護師が来てくれました。それによって、安心して過ごすことが出来ました。最初は呼吸器を装着したまま、3人がかりでお風呂に入れて頂きました。息子は生まれた時からお風呂に入ることが大好きで、できるだけお風呂は毎日入れてあげたいと思っています。
やがて、夜のみ呼吸器をつけて、日中は外して生活をするようになりました。朝、酸素を準備したら、自発呼吸がでるまで、何度もアンビューバックを使って呼吸の補助をします。すると、息子は自分で呼吸をしだすのです。
一旦自発呼吸を始めるとずっと止めずに呼吸をし続けるのです。それで日中は、呼吸器を使用せず、夜間のみ使用することになりました。

少しずつこの生活に慣れてきた頃、学校から連絡が来ました。家に訪問して授業を1時間ずつやっていきたいと言ってくれました。息子は嬉しそうでした。学校が大好きな息子にとって、学校に行けないのはとても寂しくて、つまらなくて、友達や先生に会いたがっていました。
支援学校は(特に息子のような重症心身障がい児のクラスで医療ケア児の子供には)一人の生徒に一人の先生が担任としてついてくれます。だいたいクラスに10人ほどの生徒に対して、先生が同じくらいいます。そして、隣が保健室で看護師さんが常にいて、吸引や給食時間の胃ろう注入などの医療行為に関することは全て、看護師さんたちがしてくれます。こうやって、生徒一人ひとりに対して多くの先生や看護師さんたちに守られて学校生活が送れています。

5月頃から担任の先生が色々なものを持って家に来てくれました。ボッチャのセットを畳部屋に広げてゲームをしてくれたり、植木鉢に種と肥料を入れる作業をさせてくれたり、瓶に絵具を塗る活動をしてくれたり、息子も毎日楽しそうに先生が来るのを待っていました。

まだ、その時点では、人工呼吸器をつけて学校に通学することの難しさを知りませんでした。やがて、その大変さを知ることになりました。

※文中の言葉で医療用語に関して一部「ナース専科」を引用させて頂いております。

「運命とか立命とか宿命とか⑬」に続きます。


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