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運命とか立命とか宿命とか⑨

出産してすぐに母乳が出ないようにするための薬を飲みました。母乳が出ることへのメンタル面と体の面の両方のリスクを考えてとのことです。飲んですぐ出なくなりました。心にポカンと穴があいたような、空虚感がありました。母親としての価値が消えたような何か物悲しいものを感じました。

やがて退院して、しばらくすると何事もなかったように仕事の電話が鳴り、あっという間に仕事復帰しました。家にいると色々と考えてしまうので、その方が良かったのかもしれません。息子の通園の先生やリハビリの先生達は私のメンタルをとても心配してくださいました。しかし、私自身が周りの様子を気にしていると、日常に戻れなくなると思い、できるだけ早く先生方に元気な姿を見せることにしました。

その後、なぜか周りでベビーラッシュとなりました。(正直言ってきつかったぁ~!)皆、母子ともに健康に出産して欲しいと願いつつもどこかで羨ましい気持ちがあふれていました。私にも子供を授けて欲しいと神様に心の中で願っていました。「死産や流産を経験した後、出産を経験することで苦しみや悲しみを乗り越えられることもある」と書かれた本がありました。自分も死産を経験して、一理あるかもと思いました。しかし、なかなか子供を授かることはありませんでした。
ある妊娠中の方に、「子供が欲しかったわけではないんですが、できてしまって、、、」と言われショックでした。なぜこんなに不平等なのだと思ってしまいました。私よりずっと若く、もちろん高齢出産の歳になる私と比べることではありません。ただただ自分の中に膨らむ嫉妬心が嫌でした。いつしか素直に子供のこと、赤ちゃんのことなどの会話に入ることができなくなり、人と距離を置くようになっていました。会社の社員や親戚や息子のママ友など色々な場面で妊婦を見て、私は孤独な気持ちになっていきました。

『全従業員の物心両面の幸福を追求する』という言葉があります。私が学ばせて頂いていた勉強会で何度も聞いた言葉です。経営者は自分の苦しみを抱えつつも社員の幸せを追求しなくてはならないのだと改めて思いました。とても酷なことです。でも会社経営とは社員とその家族を守るもの、社員とその家族を守るとはそういうことなのかもしれません。
しかし、同じ勉強会で学ぶ先輩から「あなたも幸せにならなくてはなりません。人の幸せのために自分や自分の家族が犠牲になってはいけません。両方の幸福を追求するのです」と仰って頂きました。この言葉を聞いて、卑屈になってはいけない、自分を卑下してはいけないのだと背筋を伸ばして頂いた思いになりました。

息子の重度障害と娘の死産を経験して、一つ楽しみができました。それはもしかしたら、死後あの世で二人に会えたらいっぱい話ができるかも!?ということです。そう考えると死ぬことが怖くなくなりました。私は何歳まで生きるか分かりませんが、もし、あの世で娘が待っていてくれるなら、会いに行こうと思います。そして、今、息子とたくさんコミュニケーションをとっていますが、話をしたことがありません。どんなことを思っているのか、どんな声なのか、どんな言葉を使うのか、、、あの世に行くまで分かりません。なので、あの世で息子とも話をしてみたいのです。

と言いながら、死後、2人と同じ場所にたどり着けるか分かりませんが、、、。できる限り善い行い、善き考えを持って生きようと思います。そうすれば、近いところにたどり着けるかもしれません。

「運命とか立命とか宿命とか⑩」に続きます。


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