運命とか立命とか宿命とか⑮
父のことでバタバタと忙しかった最中に、夏の終わりに受けた健康診断の結果が届きました。いつもの通り何も気にせず開封すると、そこには「乳房低エコー域」要精密検査をするように書かれていました。その時点では状況がよく分かっていなくて、とにかく経過観察のレベルではなく、すぐに総合病院で診てもらう必要があると思い、慌てて紹介状を持って乳腺外科のある総合病院に行きました。乳房の組織を一部とって検査しました。その後、エコー検査とマンモグラフィもして、癌の可能性を言われました。1週間後主人と一緒に検査結果を聞きに行きました。私は、その時まで、癌に対する怖さが意外となかったことに主人が驚いてました。主人はその結果を聞くまで、毎日生きた心地がしなかったと言ってました。なんでなのか分かりませんが、私はなぜかそれほど不安にならず、不思議と落ち着いて結果を聞いていました。
検査結果は「乳がん」でした。しかし、それはステージ0の非浸潤癌というものでした。つまり、初期段階で転移の可能性がほとんどないものだということです。それを聞いて、主人は安堵した様子でした。もし万が一ということを考えて、この先を案じていたのです。
検査結果を聞いて、すぐに手術ということではありませんでした。実はその間に父の葬儀があったり、その後の整理などをする時間があり、色々落ち着いてから手術をすることになりました。非浸潤癌は一刻を争うものではないので、1か月ほど経ってから手術が行われました。
手術前日に入院し、手術も半日で終わりました。術中にリンパの細胞の検査を出して、リンパの転移を調べたそうですが、リンパにも影響はなかったそうです。乳房の一部を除去し、脇から背中にある肉を乳房に持ってきたそうで、今でもそこは固く、季節の変わり目には時々ズキンと引っ張るように痛くなる時はありますが、ほとんど綺麗な状態で整形されています。
入院した病棟は、乳がんの患者専門病棟らしく、女性しかいませんでした。相部屋にいると、毎日入れ替わりに患者の入退院が繰り返され、こんなにも多く乳がん患者がいるんだということを知りました。そして、ステージにもよると思いますが、カーテンをしめて寝ていると、日中、食事がなかなか食べられなくて(おそらく放射線治療か何か治療をしている影響だと思います)夜中になるとお腹がすくのかお菓子を食べてる音が聞こえたり、手術前日に不安になってベッドで泣いている方がいたり、いろんな音が聞こえました。みんなそれぞれ自分の体と戦って、家族のために早く治そうと頑張っているのです。
手術が終わり、放射線治療が始まりました。吐き気や気持ち悪くなるなどということはなく、ただ照射部分が日焼けのように肌が黒くなるのを避けるために、毎日保湿クリームを塗り保護するよう言われていました。放射線科に毎日通うようになり、乳がん以外の癌患者やその他、多くの患者さんが毎日通っていました。地下にある放射線科には、通常行くことがないので、ここでも多くの方が毎日頑張っていることを知りました。
今回、一時の大変さはあったもののすぐに日常に戻ることができ、私は大事に至らずに早期発見できたことは、本当にありがたいことでした。今まで知ることもなかった癌患者の大変さ、そして長年癌と共に生きている方々のすごさを知ることができました。それは大きな経験だったと思います。
改めて、神様に自分の命を延ばしていただき、もう少し主人や息子と一緒にいられる時間をもらえた。息子の世話ができる時間をもらえたと思い、その頂いた時間をこれからも有効的に費やそうと思いました。
「運命とか立命とか宿命とか⑯」に続きます。