惣菜売場のオガワさん
大学生の頃、スーパーの惣菜売場でアルバイトをしていた。週4日か5日、朝7:30に出勤して11:30に退勤する。たまに、16:30まで働く日もある。
だいたい私は7:29にタイムカードを切って、もうすでにせかせか動き回るパートさんたちが7〜8人いる作業場にだらっと入っていく。そんな私を誰も叱らなかった。
業者が洗濯しても取れないタレや油のシミが染み込んだユニフォームの袖をくいっと肘まで上げて、エメラルド色のハンドソープでゴシゴシ洗う。その後ブラシで爪の中まで磨き、仕上げにアルコールをシュシュっと2発。
惣菜売場の作業場は、熱い。暑いというより熱い。
コロッケや天ぷらを揚げる大きなフライヤーが3台と、グラタンなどを焼く大きなオーブンが1台。ぬらぬらと油で何かが揚がる音と匂いが常にしていて、たまにチーズの焼ける香ばしい匂いがする。目と耳と鼻から熱が入り込んでくる。
朝帯のシフトの人たちはみんな仲が良かったが、とりわけ面倒見が良かったのはオガワさん。
オガワさんはパンチパーマでヘビースモーカー、パチンコ大好きな65歳の女性。
「売場でお客さんに商品の味を聞かれたら、ちゃんと答えられるようにしなきゃいけないのよ」と言い、毎日作った全部の商品を試食させてくれた。させてくれたというか、オガワさんも食べていた。
毎日出す唐揚げを毎日試食させてくれた。
ニンニクが効いて肉汁がジューシーで、衣は竜田揚げっぽくなっていて、冷めてもサクッと感があるんだよなあ。と思いながら食べて、想像通りの味が口と鼻を抜ける。
ギャンブラーのオガワさんも、フライヤーの前に立てば毎回正確に温度と揚げ時間を管理して、ブレない味の唐揚げを作る。
オガワさんは、火曜日限定のチーズいももちが好きで、自ら揚げては奢りのように全員に1つずつ配っていた。
チーズいももちは、もちっとした甘じょっぱい生地に、トロトロクリーミーなチーズが挟まっていて、おやつにもおかずにもなる。
ちなみにチーズいももちは単価が高いから、本当はそんなにつまみ食いしてはいけない。
私が就職するのでアルバイトを辞める時、「朝まで飲んで知らない人と寝ても、同じ服でもいいから、仕事は休まず行くのよ」とアドバイスをくれた。
私はまだ、仕事の前日に朝まで飲んだことも、知らない人と寝たこともない。
今でもスーパーの惣菜売場を歩くと、そんなアルバイト先のことを思い出す。
作業場の熱さとか、音、匂い、唐揚げの味、オガワさんの声。
それだけじゃなくて、オガワさんにいつも怒られてるけどニコニコしているニシヤマさんというおじさんのことも。
毎朝開店の8時に来て牛肉コロッケを2つ買うおばさん。宗教の関係で豚肉が食べられないのか、毎日「コレは豚肉入ってマスカ?」と聞いてくるお兄さん。もう何年も会っていないけど、つい昨日会った気がする。
いま私が惣菜売場を歩く理由は、仕事に疲れてご飯を作る気力がないのもそうだけど、ちょっと当時のことを思い出して、少しだけ心も温まりたいから。
たぶん今日買った惣菜も、オガワさんみたいに愛と人間味に溢れた人が作ってくれたんだろうな。勝手に想像して、嬉しくなっている。