生活は映画のようにゆっくりと
音楽で飯を食いたかった。
良い音楽を作り続けたい、ではなく、音楽で飯を食いたかった。
自分の作った音楽でMステに出たかったし、ドラマのエンディングで流れてほしかったし、カラオケで誰かの部屋から漏れ聞こえてほしかった。
音楽を生業にしたかった。
大学卒業までにそれが叶わなかったから、音楽をやめた。自分の中では決めていたことだから、何も悔いはない。
営業、デスクワーク。自分の時間の大半を割くこれらに納得している。満足しているわけではないが、不満ばかりでもない。目標もあれば、やり甲斐もある。
ただひとつ。これまでもこれからも消えないであろう思いとして。
音楽で飯を食えなかったから、今の生活がある。
この思いが頭から、胸から、骨の髄から抜けないだろう。
それが良かったか悪かったか、私の生が涯を終えるその時まで分別がつかないだろう。いや、その時にもつかないかもしれない。
生活に一時停止はない。
私が歩みを止めたとて、誰かの生活は続く。
私は映画の登場人物のつもりだったが、どうやら映画館で映画を観ていただけのようだ。
少しトイレに立ったその間も、物語は一時停止することなく、ゆっくりでも確実に進む。
大学の軽音サークルで一緒だった友人が、the slow filmsというバンドをやっています。
今日、『Form of Reminiscence』というEPをリリースしました。
悔しいほどかっこいい。
私が一時停止をしている間に、彼女たちの物語はゆっくりと一歩一歩大切に地を踏み締めながら進んでいたのだろう。共感できないSFなんかじゃなく、ドキュメンタリー映画のように。
想像に過ぎないが、そんな想像をさせてくれるEPだった。
悔しいな。悔しい。
どうか彼女たちの歌が、世に広まりますように。
悔しいなんて思うのも馬鹿らしくなるくらい、手の届かないところまで広まればいい。
身勝手な愛を語り種にした。
気恥ずかしいけど、何も生み出せないよりずっと良い。
このnoteに辿り着いたあなたの耳を、少し彼女たちの歌に向けてみてください。
それは彼女たちのためではなく、私のエゴのために。
各種配信サービスで聴けるようです、ぜひ。