反芻と反省
瞼が重たい。眉から上の皮膚がずっしりと、眼に覆い被さるようだ。
脳が働かない。同じ文章を何度読んでも文字の羅列にしか見えず、意味を飲み込めない。名前を呼ばれても、素早く反応出来ない。
恐ろしいのは、その状態に陥っていることをリアルタイムで自覚出来ていること。だから焦る。不安になる。
殊に、普段の生活時間の大半を占めている仕事ではこの不調との付き合いが大事になってくる。
あ、今、調子悪い。仕事の効率が悪い。遅れを取り戻さなきゃ。焦る。早く。急げ。
焦って自分に発破をかけるように厳しくするのは良いのだが、他人にまで厳しくしてしまうことがある。これが一番良くない。いわば八つ当たりではないか。
自分の意に反して厳しい言葉を誰かに放ってしまった後、即座に後悔する。そしてその言葉を反芻する。その反芻は、短くても数日間続く。
反芻とは、元々は牛や羊などが一度飲み込んだ食物を胃から口に戻し、再び噛んでから飲み込むことだそうだ。それが転じて、言葉や経験について繰り返し考え、よく味わうことという意味になったそう。
まさに牛の如く、一度飲み込んだ(誰かに放ってしまった)言葉を口に戻し、味わう。ただ、私の言葉に対する消化能力は牛ほど高くないし、何より飲み込んだ言葉が格段に不味いので、吐気がしてしまう。
なぜ頭ごなしに否定するような言い方をしてしまったのだろう。相手の気持ちに寄り添い優しい言葉をかけるのが先じゃないか。ちゃんと対話をすれば理解してくれる相手なのも分かっているのに、なぜあんな言い方をしてしまったのだろう。
言われた相手はどう思っただろう。あんな厳しい言われ方をしたら、もう困ったり悩んだりしたことを言えなくなってしまうのではないか。私に対する信頼はなくなってしまったのではないか。いや、元々信頼されていないのか。
自分が放った言葉を反芻する。そして身勝手に相手の心情を推し量る。ひどく重い瞼を閉じても、言葉の苦味が口に残り吐気がする。身体は重いのに、頭だけが眠りにつくことを許さない。
焦る時ほど、不安な時ほど、人にやさしく。
誰かを傷つける度、反芻と反省を繰り返してきた。
これからは、反芻をしても反省はしなくて済むよう、同じ失敗は繰り返したくない。
自戒の念を込めて、思いを記録に残した。
また同じような記録を残す必要がないように、この自戒を忘れないように。
そして、厳しい言葉をかけたあの人がもう嫌な思いをしないように。