普通の顔して生きている

平日朝8時、埼京線。赤羽を過ぎたあたり。
通勤ラッシュ真っ只中。これでもおそらくコロナ禍以前よりはリモートワークの環境整備が進んだおかげで、混雑も緩和されているのだろう。
そう自分の心を撫でつけつつ、極力何も考えずに時間と電車が進むのを待つ。

人と人、というより、ヒトとヒト。生物としてのヒトが押し込まれた乗り物。文字通り目と鼻の先にいるそのヒトの、人の部分なんて知らない。

ある朝。目と鼻の先というより、胸の先に横顔。私より30cmほど背の低い女性が、例によって押し込まれていた。

否応なく視界に入った、その女性が操作するスマートフォンの画面。
1枚の写真を加工している。そこに写るのは、その女性ご本人。ご本人が、ランジェリー姿で写り、「ご指名ありがとうございました」の文字を置き、顔をハートの絵文字で隠した。そして、その写真を、少し短めの文章とともにとあるサイトにアップロードしていた。

そう、写メ日記である。写メ日記を知らないあなたは、ご自身の責任でググってみたらいい。

彼女は、世間の少なくない数の人から「普通ではない」と思われる仕事をしている。それでも、そのスマートフォンを操作する彼女は、おそらく世間の多くの人が「普通」だと思うような顔立ち、服装である。

おそらく、彼女は少なからず世間の「普通」のイメージと戦ったり苦しめられたりすることがあるだろう、などと思った。
その考えは浅はかなエゴかもしれないし、エゴであってほしい。その方が健全だから。

世間の多くの人が「普通」という感覚をうっすら持っていることは、苦しいな、と思う。「普通」に正解なんてないのに。

自分が「普通」とは違うと自覚する時、それを胸に秘めたり、あえて公言したり、対処法はその人やタイミングによって様々だろう。
「普通」と違うことも、それを胸に秘めることも、公言することも、その全てを尊重できる人でありたい。理解なんてできない。でも、尊重はしたい。

多くの人が、何かに胸を痛めながら、それでも普通の顔して生きている。
そのことを少しだけ思いながら、明日もスーツを着て電車に揺られようか。

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