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こんな星の夜は

いちばんの友達が結婚した。いや、正確に言えば入籍はもう少し前にしていたのだが、結婚式を挙げた。
いちばんの友達、というのはなんだかむず痒い。
友達に順番をつける気はないし、この友達がいちばん長い付き合いの友達というわけではないし。
でも、気を許せるとか、自分のことを理解してくれるとか、そういうのをひっくるめていちばんの友達と言うことにする。

彼とは小中学校の同級生なのだが、友達と言えるくらい仲良くなったのは中3になってからだった気がする。
なんで仲良くなったのかは正直覚えていない。
ただ、吹奏楽部の誰かのベースが空き教室に置いてあり、「なんでギターがあるんだろ」という野球部坊主の素朴な疑問に「あれベースだよ」と優しく教えてくれたことは覚えている。後に彼とバンドを組むことになるとは、この時思っていない。

高校入学後、私は学校に馴染めなかった。部活をやる気にもなれず、なんとなく進学クラスに入ったが、クラスの雰囲気にも馴染めずにいた。
放課後や休日に、彼を遊びに誘うことが続いた。彼の家に私が先に入り、彼の帰りを待つ日すらあった。お母さん、迷惑な友達でごめんなさい。
でも、彼自身や彼のお母さんが私を見捨てていたら、本当に腐り切った人間になっていたと思う。

私と彼は、高校に入り全く別のルートでそれぞれ楽器を始めた。彼がギター、私はベース。
なんとなく、「バンド組むか〜」となった気がする。本当にぬるっと。でもお互いが燻っていることをなんとなく自覚していて、それを打破したくて。
同級生のバンドマンは高校入学とともにバンドを組んでいたのに、私たちは高校2年の4月にようやくバンドを組んだ。

しかし、このバンドは大学受験を控える高校3年になり、自然消滅的に解散した。この時のメンバーだったボーカルやドラムの子とは、それ以来全く連絡を取っていない。

お互いに大学生になることが決まった高校3年の3月頃、また彼とバンドを始めることになった。今度は私が彼を誘ったと記憶している。
大学に入ると周囲のレベルはグッと上がり、都内に出たこともあり私は焦っていた。
もっといい曲を作らないと、もっとライブを増やさないと、もっと上手くならないと、もっと、もっと。

自分だって何もできないのに、メンバーに強く当たることが増えた。
それに気づいたのは、彼がバンドを抜けたいと言ってからだった。

友達だったのが、いつしか少し形を変えた仲間になり、仲が良いだけではいけないと思ってしまっていた。嫌われて然るべきことをたくさんした。

それでも彼は、私を切り捨てなかった。
それからも、また友達でいてくれた。
もう、絶対に彼を裏切ってはいけないと思った。

社会人になって6年ほど経ってから、彼が「彼女を紹介したい」と言ってくれた。おそらく過去の恋愛遍歴など全て晒してきた間柄だが、彼女を紹介してくれることは初めてだったと思う。
その彼女はすごく良い子で、彼の横にいる空気感がなんとも良くて、彼が背伸びをしている感じもなくて、なんだか勝手にとても安心したのを覚えている。

後に、彼はその子と結婚した。
私は自分の家庭環境や過去に見聞きした経験から、どうしても「結婚=おめでたいこと」という気持ちを持てないのだが、彼が本当に嬉しそうだから、心の底から「おめでとう」と言えた。

心の底から祝福したいふたりの、結婚式に誘われた。
そして、余興で一緒にバンドをやろうと言われた。
曲は、ELLEGARDENのスターフィッシュ。
私たちが高校生の頃、初ライブでやった思い出の曲で、とても大切にしてきた曲だ。

彼以外ともELLEGARDENのコピーをやる機会はあったが、どうしてもスターフィッシュだけは高校時代のキラキラした思い出として取っておきたくて、避けてきた。
さらには、私はもう大学を卒業してからバンドをやる気がなかった。人前で演奏する気がなかった。やる機会がなかったというより、やらないようにしていた。

そんなことを忘れて、彼から結婚式で演奏してほしいと言われた時には二つ返事でOKを出していた。純粋に嬉しかった。
いろんな思いを飛び越えて、やりたい!誘ってくれて嬉しい!という思いだけが前面に出てきた。

式当日のことを書き始めると、多分それだけで10,000字くらいになってしまいそうだし、言語化するのも少し無粋なのでやめておく。
彼と同じく小学校からの同級生たちと旅行も兼ねて参加できたこと、
とにかく笑顔に溢れる式だったこと、
新郎側で参加しているのに、新婦の友達のスピーチやお色直しのために親戚と退場する姿などで号泣していたこと、
新郎の退場のエスコートに選ばれて、そのBGMがロードオブメジャーの『大切なもの』で、あぁこれも高校の初ライブでやったなあと思ったこと、
演奏していた時は結構必死で感傷に浸る暇もなかったこと、
泣きすぎて式の最後の映像で私の号泣シーンが使われていたこと、
式の後に式場のスタッフから「あんまり泣いてるからどうしようかと思いました」と言われたこと、
2次会のカラオケで馬鹿騒ぎした後に、「これ地元でできるじゃん」と話したこと。

もっと細かく書けばいろいろあるけど、それはまあ書かないでおく。

これから先つらいことがあった時に「でもあの日、あんなに楽しかったもんなあ」と思える日になった。
そんな日が30歳近くなってもあるの、本当に幸せなことだ。

書いてから思ったけど、これ本人が読んでたら恥ずいなあ。
なんとかして読まないようにしてほしいし、万が一読んでも言わないでほしいな。

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