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お産から得たこと#21「精神的に辛かった」

■ 本当に人として大切にされている感じがしなかった

■ ミルクの作り方とおむつの替え方。人により言うことがコロコロ変わり、機嫌をとるしかなかった。ただひたすら怖かった。

■ 帝王切開の執刀医が、術中談笑していてなんか嫌な気持ちになった。

■ 救われたことなどない。むしろトラウマになった。

■ 体重が増えることを報告するのがすごく怖かった。

■ 初めての出産に関しては、悲しい思い出しかない。

■ 病院の人たちは妊婦を人としてみていないとわかった。

■ 入院生活は地獄だった。産後不良、出産時のトラウマ、助産師の心ない言動などで死にそうだった。入院中、ずっとずっと泣いていた。頭がおかしくなった。嬉しかったことはほとんど思い出せない。

■ポジティブな印象は皆無で、人間を1人この世に誕生させてしまった責任感に押しつぶされた。私はなんて恐ろしい選択をしてしまったのかと後悔してばかりだった。人を1人生み出すことの事の重大さを学んだ。

■身体的な痛みや疲れが妊娠後期、出産、産後で続いており、赤ちゃんが健康で生まれてくれた喜びはあったが、精神的には鬱状態だったと思う。

■ 妊娠中はホルモンバランスが崩れて、毎日生きるだけで精一杯だったのであまり記憶がありません。

■ 厳しかった印象しかない。

■ クリニックのケアを通して学んだことはほとんどなく、妊娠中に独学で勉強した内容の方が得るものは大きかった。妊娠前までは全く知らなかった助産界の現状を目の当たりにし、驚愕と失望の気持ちでいっぱいになった。

■ 大病院だったため、助産師ごとに説明も違い叱られることもあり悲しかった。

■ 数名の助産師は、私の気持ちを理解してアドバイスしてくれたが、他の助産師はキツイ事ばっかり言ってきて、心が折れそうになった。

■産後赤ちゃんをステーションに預けに行った際に、ベビーの泣く声やナースコールがなった際に看護師が舌打ちしていて、預けたくないと思った。産後パンパンに張ったおっぱいをそのときにまわってきた看護師が見た際に、あーあ~すごい張っちゃっていますね的な言葉を言われて、ショックだった。そんなつもりでなかったかもしれないけれど、初産で精神的にも不安定になりやすい産婦に対する声掛けではないなと腹立たしく悲しく思った。授乳が確立していない状態で退院となり不安でいっぱいだったときに、退院時に次は○日に来てくださいと言われ、退院後実家に帰る予定で親も仕事をしていたため行けない状態であったため、産後の受診も普段のクリニック受診と同じなのだとビックリした。産前に産後の家族サポートについても記載していたけれど、把握されていないことを残念に思った。病院というと夜間定期的に巡室があるものだけれど、夕方以降一度もなく驚いた。ナースコールが押しにくかったため、検温や巡室の時間を教えてほしかった。

■出産後、子どもと二人きりになるのが怖くてナースコールを押したら、「もう少し頑張りなさい、そんなんじゃ退院後困るわよ」と言われて助けに来てくれなかった。沐浴指導のときにうまくできなくて泣いてたら「ほんとよく泣くわね」と言われた。それらがきっかけで産後うつになった。

■ クリニックの医師と助産師には疑問や不信感しかない。終始夫が寄り添ってくれたからなんとか乗り越えることができた。

■ 妊娠中と産後に対応してくれた助産師(2名)は話しやすく、産後のメンタルが不安定な時に入院中も優しく話を聞いてくれこの二人には大変感謝している。

■ 精神科に入院しながらの出産だったため産婦人科スタッフとの関わりが希薄となり、何が起きているのか日々実感が湧かなかった。あるのは傷の痛み。

■ 不安だけが募っていった。

■ 出産時に初めて会った研修生がいたので気疲れした。産んだすぐに赤ちゃんと二人きりで病室へいってどうしていいか分からなかった。

■ パートナーと必ず両親学級に参加するべき。母親だけ参加では全く意味が無い。父親の自覚を持つのも当たり前だが、パートナーの心身変化を理解してもらうように男性にしっかり勉強して欲しいと思った。日本で一流と言われている産院で出産したが、高額な費用だっただけで中身は普通に感じた。看護師さんが全員若く、経験不足なように感じ、頼りなかった。助産師さんは、夜間帯の方がすごく高圧的な言い方で怖かった。痛みや不安で泣いてばかりだったが、怖くてナースコールできなかった。

■ 妊娠中に指導されたことは忠実に守っていたが、昔だから常識に縛られていた。とくに気持ちを聞いてくれることはなく、この子は看護師だし大丈夫ねのような感じ。少し太ったくらいで、常識で言いくるめられ脅された。出産時は「絶対に叫ばないでね」「そんなの無駄だから、体力温存して」と言われて、強い人だなと思ったら、主任だった。赤ちゃんへのおっぱいのあげかたも、知識はあったけど、実際にやっていたことが間違っていたと、今はわかるが、何も言われず、義務的に3時間ごとに辛くても新生児にあげに行っていた。不安や悲しい気持ちをスタッフには言えなかった。遠方に住む母が来た時も面会時間じゃないからと合わせてもらえなかった。授乳から部屋にもどったら、母からの差し入れが置いてあって泣いた。ことを思い出した。

■ 障害者の子ども(私)の存在は 中々気づいて貰えず、三男を授かった時 自分の体調不良で家庭が回らず中絶したのが凄く嫌だった。生むだけでなく、産めない環境に追いやられるのをどうにかしたい。

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