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仕事の価値観

 君は、将来どんな仕事がしたいですか。その仕事を通じてどんな人になりたいと思っていますか。「仕事の価値観」とは、仕事をする上で重要視することで、重きを置いている考え方がそれです。人それぞれ色々な意見があると思うし、その全てがその人にとっての正解なんだと思います。異なる見解が多種多様にある中で、お母さんが思う「仕事の価値観」について話したいと思います。先ず、その前に「仕事の価値観」を語る上で、これまでお母さんがどんな仕事をしてきたか、前提として話しておきますね。

これまで経験してきた仕事

都市計画

 お母さんは1993年に大学を卒業してすぐに社会に出ました。大学では都市計画を専攻していたので、街づくりを仕事にしたいと自然と思っていました。人の生活に大きな影響を与える街づくりという仕事は公共性・公平性、経済合理性、効率性の全てがなくてはならない難しい仕事、難しいからこそやりがいのある仕事だと思っていました。公共性の高いものなので、一民間企業などが営利主義でできるようなものではないと考えていましたので、最初は行政か行政に近い職場に就職することを考えていました。様々な団体を調べていくうちに、民間企業でありながら行政のような仕事ができる会社があることを知って、「ここなら、公共性・公平性と経済合理性、効率性の全てが学べるかもしれない」と思い、現在の不動産デベロッパーを選びました。ありがたいことに拾って頂き、最初に配属されたのは第一希望の都市計画を担う部署でした。最も入りたかった部署を与えられ、嬉々として臨み、より一層、都市計画に対する興味が湧き溢れ、近い将来、米国の大学院で都市計画を更に学びたいと思うようになっていきました。

複合オフィスビルの立ち上げ業務

 しかし、5年が経った頃、全く希望していない施設の運営・管理を担う関係会社に出向するよう命じられました。正直、気が進まぬ辞令でした。実際に行ってみると、プロパティマネジメントという分野の仕事で、出来上がった建物(主にオフィスビル)の運営・管理コストを試算したり、テナントの入れ替えや付随する工事のマネジメントをする仕事でした。3か月が経つと、当時日本一大きな面積となる複合オフィスビルの開業準備業務を担うよう命じられ、新しいチームに配置換えされました。21万9千㎡という巨大な複合ビルで、著名な金融系企業や携帯電話会社の本社、外資系各種企業等の入居が決まっていて、これらテナント工事と建物本体工事とをやりくりしながら、開業日までにあらゆる検査を通過し、多種多様な契約を結んで、システム開発も平行しながら、100名規模のステークホルダーと交渉して開業にこぎつけるのが仕事でした。正直、どこからどこまでが自分の責務なのかも曖昧でしたし、役割区分・責任区分も不明瞭な中、毎日膨大な仕事に追われて、気がおかしくなりそうでした。希望もしていない出向先で、想像を絶する仕事量と非効率な進め方に、何度も辞めたいと思ったのが正直なところです。また、海外留学も諦めきれず、仕事の傍ら、希望する米国の大学に足を運び、授業も覗かせてもらうなどしました。しかし、とてつもない量の仕事に忙殺され、身も心も余裕を失い、いつの間にか留学熱がどこかへ消えていってしまいました。
 3年かけてこの巨大プロジェクトは無事に開業し、開業後1年間この建物に常駐することになりました。そこで、計画時に想定していたことと、実際に開業してみると想定通りにはいかないことや、想定外のことが沢山でてくることを知りました。「最初に気づいていれば、この素材を使用しなかったのに」とか、「この設計動線だと、実際には効率が悪い」や「空調の不具合を防ぐには別ルートでダクティングすべきだった」などという反省点を来る日も来る日もノートに書き留めて改善策を考えていきました。開業前、15店舗ほどの商業施設の内装工事工程管理も負わされていたので、施工期間、各店舗の床下、天井内部を実際に見たり、防水工事の一部始終を具に見ることができました。そのお陰で竣工後に不具合があっても直ぐに対応することができたのです。当時、ビルマネジメントシステムのパッケージソフトもなかったため、設備系システム会社とシステムを一から作りましたが、これも結果的に各種設備の詳細把握を可能にしました。各種設備のシステム系統図が頭に入り、ビルの、いうなれば内臓や血管が手に取るように分かってきたのです。他にも、営繕システム、時間外空調・会議室予約システム、各種申請システム等も作り込んだので、これらも運営する上での役に立ちました。
 こうして、反省ノートに加え、次回、プロジェクトを担う際に、どこからどのように進め、何に気を付ければよいのか、どんな風に設計変更チェックをしていけばよいのか、仕事の合間にタイムラインに落とし込んで、巨大なプロジェクトマネジメント図を作成していきました。これが完成すると、もう一度、新規立ち上げプロジェクトを手掛けたくてたまらなくなりました。「次は必ず、効率的に、不具合の少ないビルをつくるぞ」と、心に火が灯ったのです。

コンサルティング業務(フィービジネス)

 この巨大プロジェクトを一緒に担ってきた同志に声をかけ、新しい仕事を社外で一緒に取りにいかないかと誘ってみることにしました。上司の協力も得て、次の仕事は直ぐに生保系企業の新規オフィスビル開発プロジェクトに決まりました。お客様から業務委託を受けて、プロジェクトマネジメントを担うフィービジネスです。生保系企業プロジェクトに2年間携わった後、またも会社から呼び出され、今度は本社に戻ってくるよう辞令が出ました。戻ってきて担う業務は、まさにこれまでやってきた仕事で、いきなり5物件の新規複合ビルの開業準備業務(自社物件)でした。竣工年がズレているので、一度に業務負荷がかかるわけではありませんが5物件担当でしたので、「会社はどこまで私を使い倒そうとしているのか」と思いましたが、どれも面白そうでした。特に、ホテル案件は初めてでしたので、工事区分や動線がオフィスのそれと異なり、特に面白かったです。その頃、年齢的にも30才を超え、将来のキャリアを考えて、ここから先は不動産・建物の事だけでなく、もう少し幅広くファイナンスや事業戦略についても学びたいという気持ちが芽生えていました。そこで、仕事の合間に社会人大学院を受験してMBAを取ってみようかと思い立ちました。運よくその年の秋に入学が決まり、仕事を抱えながら、これまでにないほど勉強に邁進し、夢でも魘される日々を送り2年かけてMBAを取得しました。仕事では、配属から3か月もしない内に、フィービジネスを担う新しいチームに異動してくれと言われ、部署内チーム替えとなりました。ミッションは「何をしてもよいから稼げ」と自分には聞こえましたが、当社のノウハウを使ってフィービジネス(コンサル)を展開せよというお題でした。やりたかったプロジェクトマネジメント事業を思い切り外販できることとなり、さっそく企画書をまとめて積極的に売り込みに出ました。全国様々な企業や学校法人からも仕事を得ました。商社と組んで台湾でも事業展開することになり、台湾では独自ルートも開拓して、他クライアントからも複合開発プロジェクトコンサルティングの仕事を請け負うことになりました。規模の大きさもさることながら、異文化の中で互いの価値観をぶつけ合って進める台湾での仕事が、一番エキサイティングでした。コンサル事業は性に合っていましたし、益々面白くなり、戦略系コンサルに転職しようかと血迷いもしました。

人事業務

 結局、コンサル事業に10年も費やしましたが、そこでまた辞令が届きました。今度は人事部でした。私が築いてきた15年間のキャリアを会社は反故にするつもりなのかと、不信感を募らせましたが、有無を言わさず、初日から人事業務が与えられました。既に数年前から管理職にはなっていましたが、人事業務は素人なのに採用と人材育成の責任者を任され、どうしたらよいのだろうかと怯みました。しかし、やってみると案外面白い仕事で、さらに、ちょうどその頃、人事制度改革の時期とも重なり、制度改革も経験することができたのはラッキーでした。結果として人事部には4年間在籍しましたが、そこでまたも辞令が飛び込み、今度は美術館のマネジメントになりました。

美術館マネジメント業務

 ここまでバラエティに富んでくると、あまりにも私のキャリアを無視しきっているように思え、正直、落ち込みました。美術館展覧会企画展の事業収支管理やマネジメント全般が仕事になりましたが、人事部以上に聞き慣れない言葉が飛び交い、経済合理性だけでは語れない文化の世界を垣間見、否応なく価値観の変容を求められました。これまでの25年間、ビジネスの世界で培ってきた基礎知識など通用しないグローバルな視野と文化・教養が求められる世界に放り込まれたのです。経済合理性だけが解ではないという価値観に直面しました。また、この時期に所属長に昇格し、これまでの不動産事業で接してきた上司像、どちらかというと強く牽引するリーダーシップとは異なる、サーバントリーダーシップ(部下にお仕えする)の有用性も知ることができました。なぜなら、お得意の不動産関連知識は活躍の場を失い、美術・芸術の基礎知識もゼロの人間が所属長になったのだから仕方がありません。部署の皆さんにお仕えして頑張っていただくしかなかったのです。
 一方で、海外から運ばれてくる絵画の設置方法や筆を使ったクリーニング方法を間近に見ることができましたし、早朝など、誰一人いない美術館で、静かに絵画を凝視する贅沢な機会も得ました。絵の具の盛り上がりや筆の跡、下書きのグリッドなどを熟視し、作者の制作時に思いを馳せました。本来入室厳禁の他館収蔵庫に入れてもらったり、海外のクーリエと呼ばれる学芸員達と会話したり、会食したりして少しずつ知識を得ていくうちに、西洋美術史を学んでみたくなりました。さらに、急に油絵が描きたくなり30点ほど描き始めたのもこの頃だったと思います。そんな時、コロナが襲い掛かり、多額の投資をして海外から集めた絵画を返却できない、観客も入れられない、新企画展を始められないという緊急事態に見舞われました。出社もできない状況下で柔軟な発想で危機を乗り越えることが求められましたが、こういう時にこれまで培ってきたビジネスの経験が役立ちました。大損に終わらせるのではなく、企画展時期を大胆に入れ替え、美術業界の常識を打ち破り、クーリエなしの収蔵品輸送を実現するなどして、なんとか乗り切ったのです。そして、4年が経った頃、また辞令が降ってきました。

フレキシブルオフィス関連業務

 次の仕事は、新設部署で、新しい働き方に対応した柔軟なフレキシブルオフィスやワーケーションサイトを企画・開発・運営する仕事です(現職)。若手社員が問題提起し、役員を動かして部署化に漕ぎつけたらしく、高い目標を掲げた、意欲的なメンバーが構成員になりました。私にとっては8年ぶりのオフィス事業で、なんだか懐かしく、古巣にもどったような気分でした。

「仕事の価値観」

「利他」

 さて、社内転職を何度も繰り返したようなキャリアですが、全ての仕事には「仕事の価値観」という点で共通点があります。その1つ目が「利他」です。     
「利他」とは相手のためになることを実践することで、その相手とはお客さんであることはもちろんですが、お客さんのお客さんや、時に一緒に働く仲間や同僚、委託先の方だったりします。もちろんビジネス上、利害がぶつかる場合もあり、毎回、相手のためになることを実践できる訳ではありませんが、できる限り実践しようと思っています。どんな相手に対しても、自分なりの「相手のため」を考えて行動する、それがお母さんの「仕事の価値観」です。そもそも仕事とは誰かに仕える(奉仕する)ことで、最初から「利他」の意味が含まれているといえます。誰かのためになることで対価を得ていますが、この対価はお金以外のものもあり、感謝されることであったり、感動してもらえること、安心してもらえることなども含まれます。これは私の個人的な考え方ですが、この「利他」の気持ちを過去から未来へと繋げていくことを使命のようにも思っています。過去に誰かから受けた「利他」の気持ちを未来の誰かに広くバトンのように渡していく。そうして「利他」の連鎖をしていくことにより、誰かの小さな仕事が、世界を恩恵の連鎖で豊かにしていくと思っています。仕事を通じて世界をより良く、かつ優しくて、感動的で、あたたかいものにしていくことがお母さんの大切にしたいことです。だから仕事が好きだし、地域のボランティアも家事も含めて、時間のある限り、やっていきたいと思っています。

「面白がること」

 企業に勤めていると、自分から望んで取りにいく仕事よりも、予期せぬ形で与えられる仕事の方が多いことは、お母さんの事例からよく分かったのではないかと思います。その予期せず与えられたものをつまらないものとして受け止めるか、面白そうと思って受け止めるかによって、見えてくるものは変わってきます。無論、最初から面白いと思える訳ではなく、渋々やっていくうちに面白さが見えてくるというのが正確なところかもしれません。テニスもラケットを振ってみるから面白くなるのと同じで、行動していく中で、面白さをみつけていくのだと思います。ただ、触媒的なマインドとして”面白がろう”というポジティブさを持っていると、面白さを見つけるまでのリードタイムが短くなるような気がします。また、自分の”面白い”と思うツボを押さえておくのも有用です。私のツボは”物事の相関関係や因果関係を発見することです。なぜかは分かりませんが、その関係性を発見する度に喜びに似た感情が湧きおこります。なので、いろいろな事象をデータ化してみるのが好きです。プロパティマネジメントの現場では、電気料は業種毎にどういう傾向があるか、稼働率の高い会議室の人数は何人かなどデータで洗い出してみるなどしていました。人事部在籍中も異動傾向をデータ化してみたり、美術館では展覧会種別(印象派、ナビ派等)毎に集客数を比較してみたり、企画展初日の来館者数と最終総来館者数との相関を取ってみたりしていました。すると、面白い発見があったりして、これらを実際にマーケティングや事業に活用してみたりもしました。知らないことを知ることはそもそも面白いし、そこで新しい発見があると、その発見をもとに、工夫を加えていくことが楽しくなります。
自分が楽しみながらやっていると、周囲の仲間も楽しくなり、業界内に知人、友人も自ずと増え、仕事はどんどんしやすくなっていきます。

「ATM」

 A:明るく、T:楽しく、M:前向きにの略ですが、仕事は”ATM”で取り組むと決めています。ちなみに、これは2012年に経済同友会主催の「ジュニアリーダーシッププログラム」に会社から派遣された際、同友会終身幹事の元IBM社長・会長を務めた北城恪太郎さん(現国際基督教大学理事長)がおっしゃっていた言葉です。先月、北城さんと会食した際、「『ATM』使わせてもらってますが、著作権侵害になりませんよね」と念のため確認をとっておきました。ご本人の了解も得ているので問題ないと思います。仕事は、明るく、楽しく、前向きに取り組むことで、うまくいきます。何より、一緒に働くメンバーにとってこれは必要不可欠だと思っています。

 ぜひ、君が働く時に思い出してみて欲しいです。そして、君なりの「仕事の価値観」をぜひ、持ちながら進んでいってください。