僕のしごとに対しての思い
書いたキッカケ
僕は広告を供給する仕組みを作って導入する仕事をしている。
書いてみようと思ったキッカケは2つ。
1つ目は、年末だし自分の仕事を整理しようと思ったから。
2つ目は、仕事の仲間にhey佐藤さんの登壇記事のシェアの反応が良かったから。
特に2つ目が大事で、インターネット事業に欠かせない「広告ビジネスの本質」を読んで仕事の理解が深まったと若いメンバーから2/2の確率でもらった。佐藤さんほど素敵なものをまとめられてなくても、僕自身が考えてることを展開したほうが仕事の意味づけをも進むし、業務への解釈が進むのでは?と思った。
37歳にもなりADNW業界に素人で飛び込んでから5年をもう迎えるので
青臭いけど書いてみる。
インターネットの仕事
僕の会社の代表曰く、
インターネットは「21世紀のインフラサービス」
六本木駅のノアールで3年前に朝8時から実施してもらってた、
1on1のタイミングでもらった素敵な言葉。
話が出た経緯は、
「なぜ仕事をしているのか?」
「どんな考えで社会との接続を意識しているのか?」
そのような話の流れからだった気がする。
1社目は玩具屋に14年前に就職。就職経緯は僕が「家族に誇れる仕事」をしたからだった。
翻って今のベンチャー企業の仕事は「どう家族に接続しているのか?」みたいな会話だった。
先人たちが戦争の後に、道路を作り日本の社会のインフラを整備したように、僕らもインターネットを活用し世界をより良くするインフラを整備する。それを僕らがやっている。今おさむさんがやってることも同じこと。接続メディアがよい記事を書き、届け、親しい誰かや家族が少しでもよい情報にふれるのであれば、それは素敵なことですよね?という話ももらった。
本当にそうだと思った。
慈善事業では立ち行かないのでメディアもマネタイズをする必要があるわけだ。情報にふれQOLをあげるシステムを作るためには、持続可能にマネタイズをしなければいけない。意味づけの補足をしてもらった。
あれから3年半くらい経つけど未だにそう思ってる。
ここで佐藤さんの広告に対する考え方が素敵なので引用させてもらいたい。
佐藤 裕介氏:購読料だけで、収入をまかなっているメディア企業というのは、やっぱり多くの人にコンテンツを届けづらいんです、そのお金を払える人じゃないとダメだと。
ビジネスの構造を購読料オンリーのモデルから購読料と広告収入のハイブリッドなモデルにしたわけです。結果、消費者の皆さんというのは半額で新聞を買えるようになったので、より多くの人たちに新聞って言うコンテンツが行き届くようになりました。
このビジネスモデルに変えることで、新聞をより多くの人たちに手にとってもらえるようにしよう、というのがこの新聞広告の発明の原点になります。
皆さんがテレビのほとんどを無料で見れたり、インターネットのサービスもほとんど無料で利用できる仕組みが成り立っているのも、広告というビジネスが裏側に存在しているからだという事ですね。広告の本質についての僕なりの答えは、「人類の知性の散種を仕組み化したもの」だと思っています。つまり、広告は政治や経済の情報をあまねく一般の人々に広く届けていくための仕組みなんですよね。
ということ。
僕もそう思う。秀逸な仕組みこそ広告なんだと思う。
メディアは気づきを与えエッセンスをくれる
メディアは広告によりマネタイズを可能にし、仕組みを維持し情報を届けられている。そのことはさっきの説明の通りなんだけど、メディアと僕らの関わりはどういうものなんだろう。
僕の考えとしては、メディアは「自己実現」のヒントをくれる重要な役割を担ってると思う。
マズローさんの言う所の一番高い欲求であるあれだ。
(引用)マズローの欲求5段階説とは?各欲求を満たす心理学的アプローチを用いたサービス事例【図あり】|ferret
言うまでもなく、素敵な人生のためには「自己実現」は不可欠。
その自己実現をするために多くの気づきや考えの素材が必要で、そのためのキッカケをくれる存在がメディアであると僕は考えている。
だからメディアに触れるのは人間の根本の欲求なんだろうと思う。
「不倫のニュースなんって社会に意味あるか?」
ある側面からすれば知らなくてもいいことかもしれないから、いらない!ってことになるかもしれない。でも、それによって妻と会話が生まれて深く考えを共有して、自己の考え方や解釈に深みをもたらすこともあるので別に僕は意味ないなんて思わない。それを報道することはいい悪いとかそういう問題でもなく、社会にうねりをもたらし不倫が減るってのも一側面なんじゃないか?って思ったりもする。「気づき」は各々に委ねられてるので広く届けることが大事なんだと僕は思う。
WEBメディアだけでなくSNSも当然メディアで、いらない若者の踊りだって、使う側になれば自己を表現することもできるし、多くの人になにかの情報を届けることもできる。それの一つ一つが自己実現に繋がっていく側面もある。
良いも悪いも社会にうねりをもたらし、ファクトをもって人の感情を動かかすメディアは重要は僕らの生活を考えると重要だと改めて思う。
崇高なメディア論を掲げて議論したいというより、
単純にあったほうが楽しいものであるということが言いたいわけだ。
インターネット広告のしごと
インターネットは社会のインフラで、メディアも社会に気づきをあたえるため必要なものとするなら、それを支える広告ビジネスも僕にとっては当然必要なものだと思ってる。
そんな日本のインターネット広告はを支えるADproductはGoogleに代表されtechcompanyもほとんど外資が蔓延ってる。悪いことではないけど国力の観点とか税金の観点とか色々考えると個人的には複雑な思いがある。
一個人としては便利な社会でハッピーなんだけど、
日本というものを考えていくとなあって思ってしまう。
ただそれに抗うとかというものとは別に、日本のADproductのベンダーの仕事じたいは大変だけど楽しいということは宣言したい。
楽しいのは、
①難しいから楽しい
②関わってる皆が楽しい
の2つの側面。
難しいから楽しいとは、この仕事がパラメータが多く難易度が高い。大量のメディアのimp×広告×人×枠×競合×etc..と、ぶっちゃけた話僕には難しい。考えることが多く影響範囲が多岐に渡ってるのと外部環境の変化が激しいからむずい。
2つ目の楽しいは「人」
外から見るとお金稼ぎ感もあるかもしれないけど、実態は明治維新の志士のように「各々の大義」のためにチャレンジをしている人が多い。立場や課題に色々思いを馳せている人が多い。
メディアさんも好きだし、他の競合ベンダーの人も好きです。
自己実現の世界の拡大のために青臭い思いが入り乱れる世界でもあるのも好きな理由。
今年はコロナウイルス拡大への対応で自粛ムードでコミュニティでの会話が少なく、メディアの人やアドベンダーの皆様との会話が減り、わちゃわちゃできなかったのが本当に残念だった。
でも来年以降は合戦に出て楽しく「有りたき姿」に青臭く議論できるといいなあと思います。社外の素敵なオジサマや若者たちに囲まれながら、酒のんだり色々意見を交わしたり、仕事をできてる僕は素敵だなあと思ってる。
今年あった「IDFAの規制」の話みたいインパクトがあるとき、業界がドタバタしていろんな解釈やら影響範囲やら情報を探して生き抜くためにタフにやれるのってすごいことだと思うですよね。
こういう業界って稀有なのではないでしょうか?
意識が高いだけにやつは嫌いなんで、意識に加えて熱く思いドリブンで2021年も広告の過渡期を乗り切りたいなあと思う。
2020年もありがとう御座いました。
来年もインターネット広告の仕事に従事していこうと思う。