デザインと、価格と、キャリアの話
「デザイナー35歳定年説」というものがありました。
35歳になったらデザインをやめて別の仕事をするという話です。若い自分は恐ろしげに感じましたし、逆に「一生、手を動かしてものづくりをするんだ」と奮起したものでした。
似た話は今でも続いているらしく、業界の都市伝説としてひたひたと続いているようです。30代になったらライフステージや体力面から難しくなったり、感覚が市場と合わなくなる人が出てくるのは漠然とイメージできる。30代になったら、ディレクターやプロデューサーと言った川上(上流)工程に移っていく風景もよく見られるものです。
表面的にはこの現象は理解できますが、それがどのような構造で起こっているのか。今回は、それをデザインの「価格」の視点から捉えていきます。
今回は、話を単純化して進めていきます。現実はもっと複雑ですが、粗い構造だけでも知るべきと思い、書き進めていきます。キャリアを考えるヒントになればと思います。
価格というと、エージェンシーサイドの話かと思いますが、事業会社内のデザイナーこそ、価格の構造に気づきづらいもの。認識すべき構造かもしれません。
段階1|価格の中で仕事する
例えば価格100円の相場の仕事があったとして、それを3人で力を合わせて仕事しているとします。生々しい価格感を出すと趣旨とずれますので、あえて非現実な100円という設定で考えます。100円の仕事というのは、ウェブサイトでも、パンフレットでも、リサーチでも、何でも自由に想像いただいて構いません。
全体の価格である100円のうち、ベテランのAさんは50円分、中堅のBさんは30円分、若手のCさんは20円分の貢献をしているとします。このような相場100円の仕事を、フル稼働になるまで3本重ねていくとします。
それぞれの貢献度が同じ比率ならば、原則的にはそれぞれの収入も同じ比率になるはずです。つまりは 150円、90円、60円がそれぞれの収入です。もちろん、実際には販売管理費などのコストが発生したり、デザインワーク以外の貢献も加味されますが、単純化のために割愛します。
パイを食い合う構造にいるデザイナー
この構造を見ていると気づくことがあります。それは、この価格相場100円の仕事を続けている限り、フル稼働での総収入300円を取り合う構造から抜けられないということです。300円のパイを食い合うゼロサムゲームの中にいるということです。
ここで若手Cさんの視点に立ってみます。Cさんは仕事の研鑽を重ね、やがてベテランAさんのようになりたいと思います。最初は60円だった収入を、ベテランAさん相当の150円まで上げていきたいと思うはずです。
一方、ベテランAさんの視点に立つと、若手Cさんの成長により構造的には自分の収入が減ってしまうことになります。そうならないように仕事の数を増やし、新しく若手のDさんやEさんを迎え入れ、収入の維持をはかっていきます。
全体の仕事の数を増やし、上の図のようにA さんの収入を維持することができました。同じ方法で中堅Bさんや若手Cさんも維持していくことができます。(逆に、仕事を増やせないとメンバーの収入は固定化されます。全体の仕事を増やさずに、BさんCさんは成長したら組織を卒業するというのも小規模組織のひとつの考えです。)
では、個人の収入がこの構造での最大値150円まで達した先に、さらに収入を上げるにはどうすればよいでしょうか。もし価格相場100円を変えられなかったとした場合、とりうる手段は2つです。
1つは、個人の稼働を無理して上げて、担当するプロジェクトを増やしていくことです。これは察しの通り、体力的・ライフステージ的に厳しい部分もありますし、昨今の常識からも受け入られないものです。
2つめは効率化です。1つのプロジェクトにかかる工数を圧縮し、担当できるプロジェクトの数を増やしていくことです。クオリティを落とさずに効率化することは、それ自体すばらしいことです。しかしながら、人の手で稼ぐデザインワークでは効率化にも限界があるでしょう。AI活用で抜本的な改善も起こり得ますが、それは業務効率化の範囲を超えて価格相場そのものに影響するため、ここでは省略します。
「価格の中」での限界が見えてくる
稼働を上げ、効率化をはかることで、150円の収入を少々上げることも可能ですが、近いうちに上限はやってきます。自分の稼働や体力が資本になるため限界があります。ここで、停滞期がやってきます。
この段階、つまり相場100円の価格の中でスキルを磨き、稼働や効率化の限界に悩むのが30代前半から中盤あたりです。そう「35歳定年説」が示す年齢ゾーンです。
私もその年齢は、アートディレクターを担当していましたが、常に複数のプロジェクトを動かして体力のギリギリまで稼働をしていました(私が所属するデザイン会社コンセントは、今ではそんな稼働はありません!)。
なるべくディレクションに徹して、手を動かさないようにしても限界量は見えてきます。人間がやることなので、品質が至らないと自分でリカバリする必要も出てきます。
収入自体が少なかったわけではありませんが、それが体力や稼働時間を前提としているものだと思うと、今後に不安を感じたものでした。
段階2|価格を上げる仕事をする
では、どうすればさらに収入をあげることができるようになるのか。そうです。価格を上げるのです。仕事の価値を上げて、価格を上げることです。
価格とは、相手視点での価値の総和、または価値認知の総和です。価格を上げるというのは、相手が手にする成果を引き上げることです。自分が利益をむさぼるということでなく、相手の利益を押し上げるよう貢献することです。そして、それを価値として認識されるように努めることも必要です。
例えば、100円の価格だった仕事を提供し、相手が120円の利益を得ていた場合。100円の価値のままでこちらが120円に値上げしても、相手はイエスとは言ってくれないでしょう。相手の利益が残らないからです。
しかし、100円の価格だった仕事を、相手が200円の利益が得られるようにこちらの価値を変化させたらどうでしょうか。相手は120円の値上げに同意しても利益は充分に残りますので、相手が好意的であれば値上げに同意します。それどころか、相手の利益をさらに押し上げる提案を求められ、パートナーとしての強い信頼と継続的な取引につながる可能性もあります。
もし、120円の値上げに否定的であっても、別の誰かに120円で取引できる土壌はできるわけですから、仕事の選択肢は広がります。交渉力は確保できます。
価値を上げることで、価格が上がる
では、価値をどう上げるのか。それは相手のビジネス環境を観察し、利益創出の成功要因を見極めることです。これは、相手の売上を上げるだけでなく、業務効率化などのコスト減も含まれます。平たく言うと「こうすれば相手はもっと儲かるだろう」という点を理解し、その経済価値とデザインの貢献を結びつけ提案することです。
その時には、自分が「できること」だけにこだわらず、相手にとって何が価値かをゼロベースで考えることが重要です。アウトプット(成果物)にこだわるだけでなく、アウトカム(成果)にこだわることでも、答えは見えてきます。
もう一つの方法もあります。デザイン側のプレゼンスを向上させるのです。「このデザイナーが担当しているから価値がある」という背景を作ることです。デザインのクオリティが高いことは大前提でありつつも、その広報に努め、ブランド資産を積み上げていくことです。メディアに出る、賞を受けるなど、選択肢は想像できるでしょう。
市場価格は自然に下がっていく
価格は何もせずに放っておくとどんどんと下がっていく。この事実もしっかりと理解しなければいけません。
まず、価値は陳腐化します。真新しい体験価値、顧客接点、表現など、デザインによって貢献できる最新の成果は、経済的インパクトも大きいものです。そこに関わるデザインも高く取引されます。ただし、それも他者が真似したり、生活者が飽きてしまったりと、しだいに当たり前のものになっていく。陳腐化し価格も下がっていく。
加えて、経済的インパクトが高かったデザイン業務も、ナレッジの普及や仕組み化が進み、だんだんと枯れていきます。業務が枯れるというのは、価格が下がり品質も安定するので、産業全般から見たら悪いことではありません。が、業務の当事者であるデザイナーからみたら、決してポジティブなことではありません。
このようなライフサイクルは、市場原理なので確実に進行します。Aさん達が行っていた相場100円の仕事も、徐々に90円、80円と下がっていくのです。そこに対抗し、収入を維持するためにも、デザイン技術を更新し、相手の利益を上げる価値を提案する、ブランド価値を向上させる活動をしつづける必要があります。
段階3|価値と価格をつくる
市場の技術的変化により、「価格を上げる」発想では限界が見えてくることもあります。
例えば、2010年代初頭、私は前述のようにアートディレクターを担当していました。出版物などの紙メディアの仕事が多かったのですが、当時は広告出版不況の影響もあり、制作費相場がだんだんと下がっていく傾向にありました。私は、相手の利益に叶う提案を続け、実績を上げ評価もいただきましたが、総じて価格が下がる市場圧力の方が強かったのが実情でした。
そして、私はサービスデザイナーに転身しました。制作ベースの価格から離れ、まったく別の価格の仕事にシフトしました。幸運だったのは、当時デザインコンサルティングの仕事が必要とされたこと。日本にそのような需要が多くあったことです。そのような変化を推進できた裁量があったことも大きいです。
つまりは、デザインのケーパビリティをまったく異なる価格体系に乗せたということです。当時、これは「市場をつくる」とほぼ同義でもありました。
どや顔をして誇りたいわけではありません。こういった非連続の変化は、長いキャリアの中で誰にでも訪れるものです。技術的変化による脅威と機会は誰しもが経験するはずです。価格の限界とその刷新は、一般化して備えるべき課題です。
制作物ベースでデザインを考えると価格は固定化しやすく相場化されやすい。買い手も価格を想起しやすく予算ありきの仕事も増えていきます。
そのデザイン制作物が、社会や市場にもたらしている機能や成果の本質は何であるか。それが技術的変化でどう代替され変化するか。もしくは、進行しつつある社会変化に対応できるデザインの役割は何であるか。そういった問いを自らに投げかけ、ゼロベースで考えることで、非連続な価格変化を構想することができます。価値に天井はありません。
仕事の価格とどう向き合うか
価格の中で仕事する。価格を上げる仕事をする。価値と価格をつくる。ここまで、この3つの段階にそって説明を進めてきました。
私は比較的変化の少ない2,000年代初頭からキャリアをスタートしたため、この順番にそって自分のキャリアを重ねてきました。
が、変化の激しい現代ではこれらの段階は同時に意識することが重要です。価格を上げられるよう工夫すること、新しい価値と価格を生み出すこと、これらを日常的に行う必要があります。個人にとっても、組織にとっても。
常に自分の仕事の価値と、価格との相関を見極める目を持つこと。どうすれば価格=価値が上がるかと考えを巡らせること。これは、若い時期から必要な姿勢です。
そのような視点を持たず、「誰かが作った価格」の中で仕事をし続けること。自分以外の誰かが価格を上げてくれないかと依存的になること。デザインの価格相場に身を委ねること。このような振る舞いを続けていると、「35歳定年説」の天井を突破することは難しいのかもしれません。
「35歳定年説」の本質は、遅くとも35歳までに価格(価値)を上げたり、つくりあげる技術を持たなければ、それ以上の経済的成長は見込みづらいということです。稼働と収入が相関関係にある構図から35歳までに抜け出すことです。その分岐点を乗り越える術を、事前に継続的に磨かないといけないということです。
もし読者の立場が、価格設定に触れられなかったり、それをコントロールできないような場合。プロフィットセンター的な売上責任を追わない場合。その時は、自分が価格に関与できるよう組織に働きかけるべきです。持続可能なキャリア形成にとって不都合な状況だからです。
もちろん、理解した上で突破しない自由もあります。それもひとつのキャリアの考え方です。正解はひとつではありません。
事業会社内のデザイナーは、価格に直面する機会は少ないものと思います。ただし、デザイナーに限らず全てのビジネスパーソンの仕事には経済的価値が内在しています。価値=価格が可視化されないからこそ、自分の前にある成長の障壁に気づかないこともあるでしょう。
デザインは経済的な価値だけではない
今回は、「価格」という補助線を引くことでデザインの仕事やキャリアを考える試みを行いました。デザイン人材市場の視点から、なんとなく横並びで収入の多寡を思うのではなく、自分の仕事の価値や稼働を価格換算してみる、経済的価値に置き換えてみることで見えてくるものも少なくないはずです。
今回の話は単純化されたものです。実際は、必ずしも価格=収入とはなりません。マネジメントや人材育成や研究開発といったデザインワーク以外の貢献からも収入を上げる方法は無数に存在します。
「相場」の観点を描きましたが、それもだんだんと流動的になってきている印象があります。これは、デザインが「制作物」だけに価値を置かず、戦略部分まで染み出してきた証しであると感じています。
また、今回は納品側の論理だけを捉えたものです。「仕事をつくる」という受注側の論理をあえて省略して語っています。経済的価値という視点ではそちらも重要ですが、それはまた別の記事にて説明できればと思います。
デザインの価値は経済的なものに収れんされるだけでなく、多様で発展的なものです。今回は経済的価値である「価格」を軸に展開しましたが、デザインのひとつの側面に触れたものとして捉えていただけますと幸いです。
※今回は、デザインと価格を結びつけ、キャリアのヒントを導き出す試みを行いました。一方でデザインは市場や金銭的価値に帰着するだけでなく、社会や人の生き方にも接続するものです。下記の記事ではその点を解説しています。
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