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デザインの言語化と、その落とし穴

会話のテンポが速くなっている。

デザインの現場を20年。自分自身や周りを見わたして、ふと思ったことです。

昔はもっとゆっくりしていました。単純に話すスピードもありますが、会話に「間」が少なくなったことも大きい。そう思います。

例えば15年前。私はアートディレクターでした。その時の会話は10秒くらい黙ったり、ゆっくり考えながら言葉を探し、時には言葉を撤回し、言い直し、なんとかなんとか喋っていました。

会話能力が低かったということではありません。言葉にならないものをじっくりと丁寧にすくい上げ、意思疎通をはかることが、デザインの仕事の当たり前だったからです。少なくとも、私の周りはそうでした。

私は、今はサービスデザインやデザインマネジメントの仕事です。その影響で会話が速くなっているのかもしれません。

ところが、最近でも、たとえばコミュニケーションデザイナーと仕事する場面でも会話が速くなったと思うことがあるのです。

これはなんだ。そんな感慨を向けながら、デザイナーの会話や言語化について考えてみるのも有意義と思い、この記事を書き始めます。

結論は「言葉にならないものを扱うのはデザイナーの仕事速い会話に絡め取られて一般論的な言葉に陥らないように遅い会話もできるように周囲との連帯感の醸成に努めよう。」です。

オチを言ってしまいましたが。それでは、どうぞ。


複雑な対象と、多様なステークホルダー

会話のテンポが速くなっていること。それは、デザインする対象が複雑になったことに起因するように思います。

デザインが、経営や事業戦略に強く影響するようになった。デジタルサービスやITインフラといった複雑な要件に触れることも普通の風景になりました。

経営とカタチ、システムと体験が不可分になる。デザインの関与を分業的に切り離すことが困難になり、おおぜいが参加する仕事の中で、デザイナーが重要な合意形成や意思決定に関わることも増えてきました。

多様な価値観、複雑な利害関係がある中でのコミュニケーションも増えました。それは文脈性が低い会話。暗黙の前提をつくらない。なるべくわかりやすく、一般的な単語を用いて。抽象概念を扱う際には、言葉の往復の中でなるべく平易な概念に収れんするような力学も生まれます。

相手の立場に立って相手の言葉で語りかける。論理的に。相手が理解できるように情報の因果関係を構造化して話す。相手のメンタルモデルに沿って、こちらの概念に変形を加える。大胆に枝葉末節を切り落とし、本質と思われる部分を残す。

デザインが経営に踏み込む。その間を埋めるための言語化能力。デザインのイシューと経営のイシューを正しく翻訳する能力。それを納得性高くスピーディーに行える言語化能力の市場価値も、だんだんと上がっていきました。

仕事のオンライン化もそれに拍車をかけます。オンラインの対話は発話を往復させる感覚が強い。一方がしばらく黙ると、相手はその沈黙の意味をつかみとれない。沈黙は相手のストレスになる。ノンバーバルな意思表示をすべて言葉にして、テンポよく表現する必要も出てきます。

こんな背景から、デザインの現場では速く的確に言語化する会話能力が特に重要なものになりました。遅い会話ではなんとなく頼りない。速い会話のほうが複雑なビジネス環境では頼りにされる。そんな空気があります。

こういった傾向を悪いものと主張したわけではありません。これは、デザインが広く普及する過程として必然的な変化です。

しかしながら、速い言語化には落とし穴もあります。

速い言語化の困難

これは、私自身が数年前に担当したプロジェクトで実際に経験したことです。

それは、クライアント企業のデザイン組織構築に関するプロジェクトでした。企業の中でデザイン組織が機能するように、そのミッションや人材イメージなどをまとめる必要がありました。そのために、幹部クラス数名に個別にヒアリングし、デザイン組織の方針を仮説としてまとめたのです。

幹部クラスの方は、マーケティングやエンジニアリングなど各部門のトップの方々。それぞれに専門性は違えど、どの方も頭の回転が速く、切れ味鋭い議論が展開されました。私も相手に合わせて、企業経営の視座からデザインの問題をビジネス言語に置き換えて、その場では生産的なヒアリングができた。満足できる仕事ができた。そう、思っていたのです。

数日後、幹部数名のヒアリングを終えて、その内容をまとめ、クライアント企業担当者に向けてプレゼンテーションをした時のことです。

「大﨑さんがまとめた方針は正しいと思う。そのとおりだと思う。でも、なぜかうちの会社に向けられたものとは感じられない。うちの現場のリアリティを押さえていない。そう思うんです。」

こんな反応をいただきました。

私は反省をしました。

デザインの問題をなるべくビジネス視点で話し、相手のテンポに合わせて、会話の一体感を出そうとする。信頼を得る対話を意識するあまり、会話が速くなっていきました。

そんな中、目の前で話されていることの機微に気づけずに、枝葉を切り落とした一般論のようになってしまった。相手の発話を観察せずに、自分が知っていることに当てはめていってしまった。複雑な事象が単純な言葉に収束されてしまった。そして手触り感が失われ、よくある企業課題ネタのような情報に陥ってしまった。

私は、ユーザーインタビューの経験も数多くありますので、潜在的な情報を手繰り寄せるような対話の技術も持っているつもりです。しかしながら、その場では、速い会話に絡め取られ、重要なものを見逃してしまった。

後日、あらためて録音した発話を聞き直し、発言の解釈を熟慮し方針を練り直しました。ビジネス言語の行間に現れる、人間としての課題意識に耳を傾けていきました。そうして、その企業の現実を押さえた仮説をつくることができました。その後、さまざまな立場のメンバーとの検証インタビューやワークショップを経て成果に達したのです。

ゆっくり話すと何かが生まれる

15年前に戻ってみます。私のアートディレクター時代。取り扱う情報の感性的要素が強く、すぐさま言語化することが難しいような仕事をしていました。

例えば、グラフィックデザインをディレクションする場合。チームのデザイナーが仕上げた制作物をレビューする場面。目の前の制作物が、必要な要件を押さえていながらも「なんか違う」と思った時。頭の中では「この違和感はなんだ」「なぜ違和感を感じるのか」「どんな言葉にすれば良いものになるか」という事を頭の中で繰り返し噛み砕き、言葉にならないものを捕まえるために言葉を探し続けます。

レビューを待つ相手もその言葉探しを尊重し、じっと待ちます。数十秒待つようなこともしばしばありました。長い沈黙の末に、はっとするような言葉を発する。レビューだけでなくあらゆる対話で、心を打つような言葉でプロジェクトを前進させる。それがアートディレクターの仕事でもありました。

クライアントも、そのような言葉に魅了されることも多かったと思います。アートディレクターは成果物だけでなく、その発せられる言葉に含まれる教養も一つの価値。言葉を細密にそれがデザインプロセスと成果に接続し豊かなアウトプットが生まれる。遅い会話から、そういう風景が繰り広げられました。(もちろん、これは過去だけの話ではなく、今でもこういう現場はたくさんあります。)

遅い会話を成立させる連帯感

ただし、これほど遅い対話が成立するのは前提が必要です。

ひとつは連帯感です。上記のようなアートディレクターの風景は、広告や出版といったある程度の範囲の中で起こっていたことです。業界全体で前提知識を共有している相手だからこそ言葉の機微をつかみ合うことができました。「良いデザイン」の方向性を、あらためて確認するまでもないくらいに連帯感が高かった。この部分は大きいと思います。

さらに、アートディレクターは偉かった。アートディレクターは、その一挙手一投足が尊重されました。アートディレクターが話し始めると周囲は黙る。そんな関係がありました。

アートディレクターほどではありませんが、デザイナーも。デザイナーやアートディレクターは、感性の機微をカタチに表出させる仕事であるため遅い会話に対して周囲は必然性を感じていたのです。お互いの存在意義を感じ合う連帯感が最初からあったのです。

今の感覚で言いますと、すべての仕事で最初からチームビルディングがしっかりできているような状態。同じ前提、同じ価値観で温まっているような状態。最初からデザイナーのプレゼンスが高く、相応の信頼を得ている状態。

こういった背景が薄い現代のデザインの環境では、遅い会話を実現するためには、その前提を整える努力が必要になります

会話の速度のギアチェンジ

多様性が高い集団の中では、最初は文脈性の低い言葉で誰も置いてきぼりにしないようにする。一時的に簡易な言葉に収束させながら、速い会話の中でコミュニケーションを増やしお互いの信頼関係を作り上げていく

徐々にステークホルダーのベクトルを合わせていく。遅く会話できるように常に連帯感に気を配る。ここぞという時に、遅い会話から高精細なコミュニケーションができるようにチームを温める。

デザイナーだけでなく、誰もが自分自身の心と対話して言葉を自然に出せるようにする。みんなが無理して言葉を型にはめなくていいように、会話のスピードを落としてみる。

素早く的確に言語化できる能力は素晴らしい。ただ同じように、遅い言語化の中から、集団が自分の内面をすくい上げ豊かな成果に向かえるようにする技術も素晴らしいものです。

感性よりも合理性が勝る仕事もあるかもしれません。でも、だからこそ、人間の機微に触れる、遅い言語化をすることで、喫緊の合理性を超えたブレイクスルーが起こるかもしれない。

遅い会話にも研鑽が必要です。世界で起こる全てのことを言語化できるわけはありません。自分の内側から湧き出る刺激を受け入れる。感情を観察する。自分が世界をどう分類するのか。どんな言葉に分類するのかをゆっくり考える。自分の言葉で話すことは、自己をさらけ出すことになる。でも恐れないようにする。

最終的には、速い会話と遅い会話に熟練し使い分けられるようになるのがすばらしい。低速から高速。高速から低速。スムーズなギアチェンジの熟達を目指すのです。

デザイナーの二面性を肯定する

「大崎さんは、昔からアンビバレントな二面性を持った人でしたね。」

SmartHRのデザイナー/クリエイティブディレクターの関口 裕さんに言われた言葉です。関口さんとは旧知の仲ですが、ある取材で久しぶりにじっくりお話をし、その時に言われた言葉です。(文末に記事のURLがございます)

関口さんは、続けて「二面性を持っているのが魅力的」という言葉をかけてくれました。

論理先行と感性先行が同居する。極端がぶつかる。厳しい正論と感傷的な本音が交錯する。その接続がうまくいかず、戸惑い、場面場面で違う顔が出てくる。これは劣等感でもあったので、魅力という言葉は意外であり、救いでもありました。

関口さんはさらに、「その二面性は、今のデザイン業界が置かれている状況に似ている」とも言いました。

デザインの世界では二面性は確かにあるし、その二面性が重要であるとも確かに言えます。

今回のテーマである、デザイナーの言語化にも二面性があります。速く話す必然性と、じっくり反芻する必然性が常に同居し二面的になる。論理と感情がデザイナーの中で拮抗します。安易に言語化できず、常に落ち着かず揺れ動きます。

関口さんとは、同時代にアートディレクター仲間として切磋琢磨していました。私からは心を許せる間柄であったため、取材の中では極端に会話が遅くなる場面が何度かありました。ただその低速もしっくりきました。こんなに遅くて良いんだな、と。

この速度感覚をちゃんと磨かないといけない。取材後にそう思ったものです。




※SmartHRのデザイナー/クリエイティブディレクターの関口 裕さんとの記事です。デザインする中で生まれる「正しさ」の功罪について深く考えさせられる対談でした。あわせてご覧ください。


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