親は子どもに対してどうあるべきか?
どうも、さぶかるです。
今日は、子どもが産まれてから僕が常々考えている
「親と子どもの関係性」について思っていることを書こうと思います。
我が家はまだまだ小さい子どもたちなので、
今は全力で遊んで、褒めて、叱ってしていますし、
子どもが大きくなるにあたって、親の気持ちがどうなるかなんてわかりませんが
子どもの気持ちは自分も成長してきたので、それを忘れずにしていたいな、という気持ちで書きます。
1.子どもはいつまでも子ども?
我が子はまだ2歳と0歳という乳幼児2人なので
まだまだ親や周囲の力がたくさん必要な月齢です。
上の子は“自律性”という自分で色々とやってみようと活発的に動いては、“してはいけないこと”や“できないこと”もしてみて、経験を積んでいる頃です。
下の子は“基本的信頼”という主に“泣くのが仕事”とよく言うように、泣いて自分の欲求を(主に親に)伝えて、受け入れてもらえる“安心感”を得ている頃です。
成長過程や環境変化は千差万別の個別性はありますが
そこから、学童期・思春期などの自身のステージを進めながら
学校、習い事、部活動、趣味、バイト、社会…etc.へと環境を変えていくことでしょう。
自身の成長と共に“親”以外の環境にも「(社会的)人間」として繰り出していくものです。
よく、「子どもはいつまで経っても我が子なのだから、可愛いもんよ」と聞きます。
世の中で悲惨な事件も報道される中、
子どもに対して生涯愛情を持っているのは、“当たり前”という言葉より“素敵”という言葉で表現したいものです。
しかし、中にはいつまで経っても子ども扱いをして、「親」が正常な子どもとの距離感をとれていないケースも散見します。
当たり前の話をしていますが、
「人間誰もが誰かの子」という意味の子どもと
「成長過程としての子ども」という意味の子ども
は別物ですよね。
同じ“子ども”と表現するからか、幼少期の関係性が心地よいからか、冒頭の「いつまで経っても我が子」が
社会的人間として成長していても、年相応に子どもと関係性を持てない親は割といるように感じています。
2.自立心・人との協調性を育てていく
「子どもの自立心を育てつつ、周囲とも上手くやっていく協調性も育てる」
これって、成長に連れて、親にとっては難しく、最終的には間接的に関与する方が良いテーマだな、と思います。
人の社会生活は成長につれて、大きく・異なる環境へと変化していくので
親との接点が徐々に減っていきます。
思春期にもなると親に言いたくないことが増えてきます。
しかし、それと同時に親への“依存”の気持ちもどこかで持っています。
成人して、働きだすと徐々にひとり立ちするために、色々なことを自分のノウハウで決断していきます。
僕自身も、まだ思春期から成人前期が身近な年齢なので、
親の言うことなんてあまり聞いていなかったのを肌に感じています。
だから、親は子どもの成長に合わせて
直接的な関与が減っていくのが当然なのでしょう。
それに、
生きてきた時代も出会えた人々も、全く違う人生をそれぞれ歩んでいるので、きっと親の正解は子どもにとって必ずしも当て嵌まらないのだと思っています。
その中でも、やはり親として
何かあった時はいつでも受け入れてあげる姿勢
が大事なのだろうなと感じています。
自分の子どもたちが大きくなるに連れて
どんな関係に変化していくかは、未知ですが
自分が子どもだった時に、自分が何を親に求めていたのか?何を要らないとしていたのか?
親としての最大限を見つけられるように、これからも子育てをしていこうと思います。
当面は全力で遊んで、褒めて、叱っていこうと思います。