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健全なる精神が人々のための地方自治を作る

郡山市議会の古山唯議員はSNSでの発信をやめたとの情報があります。

本来の仕事に支障がきたすような危険性があるらしく、昨今のSNS攻撃などを鑑みると、心の安寧が確保できているのか心配になります。

古山唯議員によるSNS


理由はよくわかりませんが、ここでは私の経験上、これからの時代に郡山市はじめ、他の自治体議会や国会でどうあるべきかの考えを述べたいと思います。


古山唯市議が属する「れいわ新選組」は、山本太郎代表が率いる国政政党です。


そして彼女の属する「虹とみどりの会」は市議会の中でも市政を監視する会派として思念のしっかりとしたものをもっているようで、蛇石郁子前議員の活動を見ていればそれは明らかです。


なあなあになってしまう執行機関と議決機関に緊張をもたらしピリッとしてくれる会派だと思われます。


都内の区議会などにはこうした方が必ずいます。郡山市議会にもこの会派があるので安心できます。


古山唯議員に関する動画がありました。



私はかつて民主党代議士秘書時代、もう民主党はダメだと思って、当時無所属であった山本太郎参議院議員候補者の元へ選挙ボランティアを一人送り込んだことがありました。


この山本太郎氏が政党をつくったならば、いずれ民主党の終わりと同じ道をたどるだろうと予測はしていました。


ただ、2013年時点では民主党に代わる、というかそれをカバーできるというか、民主党政権に期待を裏切られた有権者にその道を作らねばならないと思ったので、そういう人たちが支持すべき野党候補としては山本太郎氏が適任であると考えたからです。


山本太郎氏の裏には斉藤まさし氏という人がいたんですね。


2013年の参議院選挙で何年振りかに彼をみかけました。今彼が山本太郎代表のセコンドについているのかは知りませんが、いまや結構なお年を召しているのではと思います。


なぜならば私が20代の頃、市民派の選挙運動をしていると、どの候補者のところにも決まってこの人がいました。そうすると20代で議員になろうとしていた私に彼は「選挙のためにはつねに街歩く人に声をかける意識がないといけない」などの指導をしてくれました。単に思想を語るだけの左翼運動家ではなく、選挙で議席を取るというまっとうな手法をとっていたものと思われます。


当時私は自分の育った中野区を拠点にしていましたが、その隣の杉並区で彼は「市民の党」「MPD平和と民主運動」という政治団体を率いて、若者に議席をとらせたり、また中野区議会でも1期のみ女性議員を誕生させたりしていました。


私は30代あたりからはそういう系統の政治勢力とは距離を置くようになりました。


なぜならば、この手の政治勢力は怒り・憎しみ・妬み・恨み・罵りのエネルギーを発してばかりだからです。


その怒りや憎しみは、つねに政権に向けられていますが、そのベクトルというのはやがて必ず身内に向きます。やがて自分をも破壊していきます。


人を批判することが身に染みていくと、政権ばかりでなくそれを批判する仲間にも向けられ、内部崩壊していく姿をよくみてきたからです。これは立憲民主党にもよく見られる傾向です。


そのような組織は国民民主党のキャッチフレーズとは逆で「解決よりも対決」なのです。


つねに誰かをディスり、それを行うことによって、野党支持者から拍手喝采を受け、政権与党や政府・首長を公開処刑のようにし、それ自体に満足するという、いわば心の小さい人々、心に曇りのある人々の集まりになっていくからです。


表面的には彼らは「共生」を言いますが、実際の行動は「私のこの考えが正しいんだ」という押しつけをするのを好みます。したがってその組織はトップダウン型になり、組織のトップや幹部は末端までを監視しようとします。


その組織は民主主義を標榜しますが、北朝鮮や中国のような体制になってしまいます。民主集中制という名の独裁・専制政治です。支配者が言論統制をしたり、配下の政治家をコントロールしようとすると必ず行き詰っていきます。配下の方々は重荷により多くのストレスを抱えて心身ともに崩していきます。こいつはいけない奴だ!と袋叩きを始める支持者もまた、自らを傷つけることになるでしょう。


これからの時代に大事なことは、本当の共生であり、自らを磨くことです。


自らの心を磨くためにすべきことは、相手の欠点を突いたりすることではありません。もちろん反省は必要ですが、自分だけが正しくて、相手のすべてが間違っているなんてことはありません。


他人も己の一部という意識をもてば、過った国政・県政・市政であっても必ず心を開いてくれます。山本太郎代表のように政府を追い詰めるやり方をすれば、政府側はさらに心を閉ざすでしょう。どれだけ良い政策を提案しても受け入れてくれるはずがありません。


たしかに政治において悪い所はたくさんありますが、その悪さばかりを指摘していると、自らの肉体にも支障を及ぼします。


ブラックジャーナリストのほとんどは、権力者の悪事を裁くことに専念しているため、病気がちの人が多いものです。精神が他者への悪口雑言にエネルギーを注がれている人は躁鬱の傾向があります。


これはつまり他者への罵倒は自己を傷つけているのと同じことです。


市民のためによかれと思ってやっている政治活動はいいことだと思います。だけれども、そのために阻害する要因について悪態ばかりついていると、己にとってもいいことはないということです。


市民への愛のためにやっていたことが、己への憎しみとして報われて健康をも損ねてしまう人というのは哀れです。もっと深呼吸が必要です。


ただし、こういう政治勢力の人々をも救うことも必要です。


そのためには、支援者のみなさんもぜひ、誰に対しても調和した精神で接していただきたいと思います。健全なる精神を持つことにより、健全なる地方自治が生まれると思います。


綺麗ごとで政治ができるわけねーだろ!


との意見は当然にあるでしょうが、きれいごとでできます。ただ単にやらないだけです。

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