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富は奪うものではなく流すもの

昨日も大衆食堂すずめで食事。


父はレバニラ定食、息子はホルモン定食。

ご馳走様でした。



個人商店がなくなっていく時代なので、どうしても行ってしまう。一刻も早く、郡山市内で流通する「減価する通貨」について実行できるようにしなければなりません。



腐るお金が生み出す地域循環。なぜ伝わらないのかを解説!|平井 良明従来のお金の概念を超えた「腐るお金」 「お金は貯めるもの」「お金は持っているほど安心」――多くの人がそう信じています。しかし、新宮CoCoスクエアが採用している「腐るお金」の仕組みは、これまでの考え方を大きく超える発想に基づいています。このお金の仕組みがもたらす感動を、どのように伝えればよいのでしょうか? 「腐るお金」って何? 「腐るお金」とは、有効…

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上記リンクに説明があります。


これを郡山市で実行しようと思います。


なんでもそうですが、物事を成し遂げるにあたって最も障害となるのは、怒り、憎しみ、妬み、愚痴、私利私欲などです。そこには愛がありません、思いやりがありません、慈悲もないでしょう。怒り等のエネルギーというのは絶大です。他人を殺す力がありますが同時に自分を殺すエネルギーでもあります。


そのエネルギーも、光速の二乗と質量の積で現わされるでしょうが、この世の質量なんてどれだけ増やしたところで光速の二乗に比べれば微々たるものです。核兵器を使おうが、大量破壊兵器を使おうが、トータルで計算すると光速の二乗には遠く及びません。ようは、人の心の発する光のほうが圧倒的に強いということです。これはアインシュタインが最終的に宇宙は愛によってエネルギーが発していると娘に宛てて書いた手紙から私はそのように考えます。


私は20年以上前から「腐るお金」「減価する通貨」をブログで提唱し、研究をし、地元で実践を試みてきました。ここでいつもネット上にコメントやメッセージで連絡が来るのは、たいてい「国際金融資本に気を付けてください」「ロスチャイルドがー」「イルミナティがー」「石油資本がー」とか「殺されるかもしれない」とか言う類です。


私はこういうものと戦っている意識はありませんが、傍から見るとそういう勢力を潰してくれる英雄だとでも勘違いしているのかもしれません。陰謀論好きの人々にとってはそうありたいのでしょう。彼らは共存共栄や共生を唱える割に、既存の権力を抹殺したがるのです。これは特に左派政党の政治思想にもそういうのがよくあります。


どうしてこのような発想になってしまうかというと、富の蓄積によりこの世界を支配している人たちがあって、そういう人たちが損をすることになり、その報復を受けるから危険だということなのでしょう。


これは、かつて共産主義で革命をしようとした勢力が、「国王を処刑にし、資本家から財産を奪い人民に平等に分け与える」などという思想からその余韻を残しているのだと思います。社会主義になった国は結局、平等など実際に行われず、国家の一部の権力者たちが私欲を満たし、人民に貧困を与えてきたことは歴史の示すとおりです。


ここには、「誰かの富を奪って、貧しい人々に分配する」という旧来の考え方があります。鼠小僧治郎吉発想でしょうか。金持ちが気に食わない、やっつけてしまえ、そして我々貧乏人に富を寄越すのだ!という、正義感はあるけれども、よく考えてみたら富が単に移動するだけのあさましい考え方です。富を独占する人々の中には、私利私欲に走って、この世の中全体の利益を考えず、私腹を肥やす発想の人もありますが、貧困者が革命を起こして富を奪うという発想は全く同じです。


地方経済に蔓延している利権政治の構造も然りです。このような利権構造を壊せば、みなが幸せになると思っている「改革派」を名乗るヒーロー気取りの野党政治家や市民運動家がたくさんいます。そういう人たちも大事ですが、これからはその先を考えなくてはなりません。


たしかに役人がその税金生活に溺れ、利権構造を作り、有権者からの納税をジャブジャブ無駄に使ってきたという怒りもあるでしょう。


それで今までいろんな市民オンブズマンやらに責められたり、あるいは国家レベルでは民主党政権が誕生したりしました。でも、それで何か変わったでしょうか。怒りと憎しみの連鎖が続いて、負けた側は次に挽回しようとして、またお互いに醜い争いを続けていきます。


先の兵庫県知事選挙はその表れです。知事はこれまでの既得権益を破壊しようとしたら、古い勢力に阻止されました。パワハラ・おねだり知事と吹聴され、知事不信任が可決されて再選挙になりました。


そうしたら県民は「知事は悪くない」と気づいて再選させましたが、今度はその敵方は知事の不正を暴くようになりました。この繰り返しです。こういう争いが好きな方々もいるでしょうが、県民のための地方自治になっているでしょうか。


ある立場の人々同士の戦いに明け暮れて、人の幸福のための政治ではなくなっているのではないでしょうか。


冒頭述べた、国際金融資本が悪いから潰せだのという話、兵庫県知事選挙を巡る話、これらはどちらか一方を勝たせ、どちらか一方をコテンパンにして満足しようという、人としての道に外れた行為です。全く兵庫県政に関与していない人々も加わってきますのでSNS時代特有のものかもしれません。いずれにせよ、相手の立場をわきまえないので起きることです。もしもあなたがその立場になったらどうなの? ということを常に心に置いておくべきです。


人はなんのために生きるのかということについては、各個人の自由に委ねられていますが、私は「己の魂を磨く」ことと「世の人々を幸せにする」ことだと思います。


己の魂を磨くには、怒りや憎しみを持っていては心が汚れていきます。敵を潰せという発想は、自分を潰せということとイコールです。このような手法は自分のことしか考えないから、決してうまくいきません。


世の人々を幸せにするということは、富をもって牛耳る人も、利権政治にあやかっている人々をも食っていける世の中を作ることです。貧困者を救うのは当然です。高負担により生活に困っている人たちがたくさんいるから救助することは先決です。


ただしその財源は、集中された富から強引に奪うことではありません。富がどこかの一部に滞留することなく、どんどんと流れていき、誰もが不自由ない仕組みを作ることです。それが流す経済たる「腐るお金」です。これを使っていきましょう。こうしてすべての人々を幸福にすることが人生の目標なのではないでしょうか。


政治家ではよく「夢みたいなことを言うな」

と言う人がいますよね。


なのであれば、なぜあなたは役人にならなかったのかと問いたいです。役人ならば政治の決定に従うだけですから、夢だろうが現実だろうが選択は不要です。これまでのことを同じようにだらだらやればいいでしょう。政治家である必要はありません。


政治家は、役人やら議員で現実を知り過ぎた以上のことをやらねばら意味がありません。

というよりも、私が提唱している政策は夢ではありません。この世の中にいずれ必要に迫らせて行わなければならない内容です。




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