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自分は作家になりたかったはず。

「自己紹介が事故回」みたいなタイトルつけようと思ったけど恥ずかしくてやめた。またそのうち自己紹介書き直そう。もはやいつ書いたんだっていう初投稿の自己紹介が敬体になってて違和感あるから...

母の知り合いにある程度のフォロワーを従えるブロガーが数人いる。

だからか,母は私にブログを勧める。それがnoteを書いている理由。専らみんなアメブロ派だが,私は何となくnoteにした。同年代はnoteの方が多いような気がした,ただそれだけ。

誰かに見てもらおう,いいねをつけてもらおうと思って書いているんじゃない。心の中では承認欲求はあるのかもしれない,けど,それ以前に,言葉が溢れてくる。拙くても何かを文章に残したい。自分のために。

最近購入した「ミステリーの書き方」に,『作家になりたくてこの職業をしているのではなくて,みんな書く衝動を抑えられない,だから作家をやっているんだ』とあった(感覚で要約したため齟齬はあるだろう)。

私は作家になりたかった。今でもなりたいと思う。その前に一度は直接的に肉体で社会貢献できる仕事に就きたいから,ちょっと保留している。だが,進路,何気ない会話,就活セミナー,全ての場面で私は自分が職業を道具的手段以外の何者としても見られないことに気づく。砕いて説明すると,適当に公務員でもやって,趣味に没頭するか。みたいな。

少なくとも中学卒業までは「作家になりたい」と周りにハッキリ宣言していた。が,高校に入ったとき,同級生の文章力に面食らった。私よりよっぽど難しい言葉を知っているし,実用している。会話の内容も高度で理解力と脳の高速回転が必要だ。

それでいて彼らは「作家になりたい」と誰も言わない。もっと別の,私が経験したいと考える,いわゆる社会に大いに貢献する仕事を夢見て,進路を選び,羽ばたいていく。

「あなたの書く文章は読みやすい」そう言われる。よく言われる。お世辞かもしれない。仮に本当だったとしても,何かの本に書かれた『作家の個性を出すためには,いかに読みにくい文章を書くか』の一行を思い出し,とにかくこのままじゃいけないと思う。

小学4年生のときに,国語で創作物語を作った。(事情があって臨時で定年退職した先生が担任を務めていたのだが)担任にえらく褒められた。私の夢を聞き,「絶対そうだと思った。なれるよ。」と励ましてくれた。1ヶ月だけ担任を務めたことが誇らしい,と言ってくれた。進級してから,学級文庫に自作の本を置いてもらった。挿絵は友人に頼んだ。キノコが冒険するありがちなストーリーだ。オチで主人公を死なせる予定だったが,クラスメイトの要望で,復活させた。さらに時は過ぎ,小学校の最終学年になった年は二次創作に情熱を注いだ。イナズマイレブンのキャラクターを登場させる夢小説だ。でも,イナズマイレブンは観たことがない。友人が好きなアニメで,よくキャラクターの絵を書いていたから,挿絵を書いてもらおうと思ったのだろう。既成のキャラクターで,自己満の内容。大学ノートを大量に消費した。

今も勉強机の鍵付きの引き出しにノートの山が入っている。久しぶりに開けてみた。大学ノートは全部で15冊あった。もしかしたら小学5年生から書いていたのかもしれない。少なくとも中学入学以降は部活が忙しくてそんな暇がなかったので。

人にもらった手紙もそこに保管していたようだ。私は,まさかと思ったが,見覚えのある折り畳まれたノートの切れ端を見つけた。

→続く


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