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20240212日記_ただ生きることの難しさ

 ただ生きることの難しさについてです。死にたくない、死ぬのは怖いから生きている人に救いはあるのでしょうか。私自身今、このような思想はありません。が、かつては、そういう時期もありました。
 何の目的も目標も目指すところも無い人間が居ても、何も思いません。堕落者とも思わないし、皆生まれてきたいという希望の元生まれてきたわけでもなく、頑張ったところで実らないものが多いのも事実だからです。一生かけて一つのことに打ち込んだとして実らない人も多く居ます。いくらか狂っていないとそして運が無ければ到達し得ない領域があります。そして自分の目ではその限界がはかれない、他の人の目でもはかれない。
 愛せる自分で居たい(ただし無理はせず)が、私の今の人生の活動方針の一軸です。愛せる自分で居るために、何をしたらいいか、自己嫌悪をしないために、自分を嫌いにならないために、何をしたらいいか。答えは自分自身からしか出てこないです。
 ただ、完全な無の状態から答えを出していくのは難しい。そこで解決方法として、二つ。一つ目は本を読むこと。二つ目は「受動ではなく、能動的にやってみて苦ではない(愉しければもっと良い)」ことをやること。集中力が持つ時は一、集中力が持たない時は二をやるようにしています。
 本は思想の塊なので、新しい風を身体に通すことも、もしくは逆もあります。知らない思想を得る、言語化できていなかった物事が整理されるなど。ただ本もピンキリであり、個人に合う合わないもあるから、手あたり次第本を読んでおけばいいというのもどうかと思います。
 私は集中力があまり無いです。だから読書についても集中して読める時と全くダメな時と差が激しく、これも自己嫌悪の種になりかねない。そこで、手を動かします。集中できる作業をすることで、自分の能力値を以前の自分より少しだけあげたり、集中力を増すための種としたりしています。他人と比較しないことが重要なポイント。下も上も無限にいるから。身近なところだと、掃除、運動、ペットの世話や処理をする、絵を描く、投資する、小説を書く、ブログを書く、コスプレする、楽器を弾く、映画のレビューを書いてみる。そんな身近なことです。下手で結構。たまに他の人に認められたりお金になったりすれば、最高に嬉しい。ただ、これは承認欲求お化けになりかねないのと、生活を考えすぎるときびしくなってくるので、バランスも難しいのですが、何もしない無が続くよりは、良いのかなと今は思っています。

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