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演劇の死
演劇は絶対に死なないけれど、かなり深い傷を負ったな、というのが今回のコロナショックの所感でした。続々と中止になる公演。それを嘆く関係者。いらんこと言う大人たち。
名前は伏せますが演劇界の偉い人たちが今回のコロナと演劇のことであれやこれやらツイートして炎上して、もちろんいらんこと言ってるひともいたんですけど正しいことを言っている人もいて、でも読み手に読解力がないあまり、(またツイッターというツールの特性上ある種仕方なく)誤解が生まれ、分断が生まれ、「これだから演劇人は」なんて言われて地獄かな地獄かなという日々。
公演中止は当たり前じゃないんだよ。あくまで熟慮の末の苦渋の決断でなければいけないんだよ。まとめサイトで「演劇人は自分たちを特別だと思っている」みたいな書き込み見た時が一番キツかったな。(あ、誰の発言とは言わないんですけど、好きなことを仕事にできていない、例えば非正規がどうのの発言は本当に本当に最低だと思った。すべての演劇人がそう思ってると思わないでほしいな)
#演劇の死 が話題になったとき、そうね確かに深い傷は負ったしこのまま進めば大変なことになる、とは思った。でも絶対に演劇は死なないと確信していた。興行的な話ではなくて、魂の話。何かを演じたいとか発信したいという気持ちがある限り演劇は死なないんですよね。
それでZOOM演劇なんてものが生まれて、心無い人がまた「ZOOMで遊んでる」なんて分断を煽っていたけど決して遊びではなくて、こんな地獄みたいな中ででも何かを発信したい、演劇と共にいたいと必死で足掻いた結果生まれたのがZOOM演劇なんですよねきっと。
映像でいいじゃん、映像だって広義じゃ演劇じゃん、なんてまたとんでもないことを言っている人がいて、あーそうか、その違いがわからないのか、それは悲しいことだなって思って、そんな人たちになんで私たちが「生」にこだわるのかわかってほしい。これから一生かけてそういった人たちに演劇の良さをわかってもらいたい。そして演劇の敷居を低くしたいっていうのが私の夢です。演劇の敷居を低くしたいってのはもうずっと思っていたのですが、今回の件で改めてそう思いました。
なんで劇場なのかなんで生なのか、劇場じゃないとできない表現がある。生だからこそ伝わるものがある。今回演劇関係者たちがドラマや映画を作るんじゃなくて、あえてリアルタイムの配信という手段を選んだのもそこなんですよねたぶん。客席にいるまだ見ぬあなたと同じ時間を共有したいのですよね。
なんて何が言いたいのかわからない記事になってしまった。という訳でわたくしもズーム演劇に挑戦します。こんな感じでやってます。
配信は本日20日22時から。仮想劇場でお待ちしております!