【日記vol.2】なりきりプレートってその人それぞれに実在してるよねって話。
不定期公開日記の2日目。
少し前からメガネをかけて外に出かけることが多く、その度に「メガネしてたんですね!目悪いんですか!?」と聞かれ、「いや、伊達ですよ〜」と答えるのが定型文だった。
しかし今日はいつもと違う反応があった。
「あれ、全然別人みたいで気づきませんでした〜」
んんんーーー、そう!!その通りなのです!!さすがに的確すぎる!!前世は工藤新一か金田一少年なのか?そんないかにも事件が起きそうな妄想をしてしまったのはあまりに不謹慎っ!!
このような反応を受け、正直にとても喜んだ。「そんなに違います、、?///」と、かなりあからさまな態度で。
ぼくがメガネをかけはじめた理由の一つに知的な雰囲気で落ち着いた人間に見せたい!という浅はかな願いがあるのだか、それよりも上位の願いとして、そういった人間になりきりたいというものがあったのだ。(純粋にメガネをかけていると落ち着きますよね)
実際、その人の反応からみても「なりきり」に成功したのではないか。ただ雰囲気の異変に気づいただけだろという反論など知ったこっちゃない。
このような出来事があった後の帰り道に一つの考えが浮かんだ。
「その人にとってのなりきりプレートがそれぞれ存在しているのでは?」という仮説だ。
なりきりプレートについて、とてもざっくり補足すると「なりきりプレート」とはドラえもんの道具であり、そのプレートに書いた人物になりきることが出来るというものだ。
これはあくまで自分にとっての当たり前という極々狭い価値観だが、誰にだって憧れというものは存在していると思う。そしてその理想の人物像に「近づきたい」という気持ちも同時に湧いてこないだろうか。
「近づく」手段として同じ髪型にしたり同じメイクをする。他にも同じ曲を聴いてみる、同じ趣味を試してみるなど、様々な方法があると思う。
多様のアプローチでその人物に倣っていくことに対して興味深く感じた。「みんな努力してて偉いなあ」とよく分からない感想さえ出てきた。お前は何を知った気になっているのだ。
そんな些細な出来事からも面白い考えが出来た良い一日だったなと思い返す今日この頃です。
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