もやし争奪戦から見る日本経済
夕方にスーパー行ってももやし売ってないのよ
山積みがデフォルトのもやしも、18時頃行ったスーパーでは1つも残っていませんでした。
最近ではもやしの値段もじわじわ上がってきているとは思いますが、それでも野菜類の中ではダントツにリーズナブルなもやし。
それが争奪戦状態になっているほどに、
①野菜が高い
②家計が厳しい
ということなのでしょう。
R6年11月家計調査
先週10日金曜日に昨年11月分の家計調査の結果が出ていました。
費目別実質増減率で前月に比べて食料への支出が「0.6%減」。
先月より食費にお金かけなくなっちゃってる日本人。
牛肉を食べなくなっている
特に肉類への消費額が3.8%減っており、鶏は増えたけど牛肉の消費が減っているんだそう🥩
ここから「高くて手が出ない」「今は牛肉食べてる余裕がない」と読み取れます。
かくいう私も鶏肉、それも胸肉ばかり買っているからわかる。
鶏もも食べることすら贅沢に感じるもんな。
それでも、
サラリーマンの収入は「増加」している
サラリーマンの収入自体は前月比0.7%増えており、収入増は2ヶ月連続。
可処分所得も1.2%増えているということなので、収入はじわじわ増加している状況であることは間違いありません。
インフレに追いついていない収入
とはいえ、収入の上昇を上回る上昇率でさまざまな物価が上がっているため、増え方が物価に追いついておらず実質的なマイナス感が強い現状。
働けど働けどその分税金が取られるし、国がばら撒くのは非課税世帯ばかり。
これって働いた方が損するのでは?
そんな風に国民の皆さんが感じている状況ではないでしょうか。
私も以前に比べて収入が上がったはずなのですが、所得制限で子供の手当てなども全部なくなったので負担が増えた感覚があります。
手取りもそこまで大幅に変わっていないけれど、心無い攻撃を受けることも多くなったし明らかに増えたやり場のないストレス。
皆さんストレスもインフレ加速していることと思います。
追いつくくらいの豊かさがあればやり過ごせるのにね。
野菜が高いのか日本自体が安いのか
キャベツも200円だと「安ッ!」と思って買ってしまうようになりました🥬
今は1/4で100円する高額野菜ですから。
高くても買えるだけの収入があれば気にもならないんだろうけど、多くの人にとって、それぞれの家計の中で考えた時に手が出ない金額になってしまっています。
遥か遠くに行ってしまったキャベツ。
でもキャベツは多分悪くない。
悪いのは、キャベツを買えないくらいに収入が変わらないままであることや、世界がインフレになってカフェでコーヒー飲むにも何千円とかかるのが当たり前になっている中ででも激安王国を維持している日本経済なのではないでしょうか。
ステーキ屋のおじさんの話
以前、経済の話が好きなステーキ屋の店長さんが話してくれました。
「40年前と今とでは時給はだいぶ変わったよ。
2倍になった。
でも、正社員の給料は全然変わってないんだよ。
おかしいと思わないか?
最低賃金ってなんなんだよ。
時給を変えればいいってことじゃないだろう。
40年前とで最低賃金が2倍になってるのに正社員の給料が変わってないのは異常だよ。」
これは本当にゾッとした話です。
日本の失われた30年は政策によるミスでしかないと言われていますが、本当にこの30年何をしてきたんだろうかと思います。
ただ、この30年で私たち国民が国に対して権利を求めた結果、すでに当たり前になってしまっていることの中にも、やりすぎたこともあったのではないかと思います。
その皺寄せが今まさにきているのではないでしょうか。
30年前と比較して収入は減少し、引かれる公的費用は増えた悲劇
30年前に比べて平均年収は30万円近く下がりました。
しかし消費税は3%から10%になり、支出は増えました。
さらに国民健康保険料は2倍の額になり、その他の保険料も上がっています。
収入は下がっているのに引かれる額は明らかに大きくなっているのです。
また大きく違うところに銀行の金利の低下もあります。
黙って銀行に預けておけば増える時代を私たちは知りません。
それでも失われた30年なので、株価は上がることはなく、私たちは金融でも取り残され、株式投資はギャンブルだと勘違いしている人たちも多く、正しく運用することを知っている日本人は多くありません。
何から何までお金に見放されてしまっている状況です。
こんな中、スーパーからもやしまでなくなったらどうしたらいいんだ。
「託す」ということ
これからの時代がどうなっていくのかはわからないけれど、少なくともこの経済に見放された時代を生きた私たちは非常に世間をシビアに見ています。
そして、今後はどのような視点が必要なのか、どのような知識がないといけないのかをわかっている気がします。
「当たり前に時代から与えられることはなかったけれど、これが欲しかった」を知っているのです。
それを子どもたちの世代に伝えていかなければなりません。
成功よりも失敗のデータの方が有意義です。
豊かさを食い尽くした世代の後に焼け野原のようになったところで何者にもなれない環境を生きざるを得なかった我々40代ができることは、前と後とをつなぐこと。
大きな価値観の違いの狭間にいるからこそ、できることがあります。
これからの世代は歴史のサイクルから行くと、豊かに収穫を生み出せる世代かもしれません。
彼らのためにさまざまなヒントを与え、失敗のデータを与え、何かが育つ土壌を作ってあげたいと思います。
彼らが何を育むのかもわからないけれど、何かはできるはず。
自分が歴史のサイクルの中で何をすべきポジションなのか、それは日本史の中でもそうだし、市政の中でもそうですが、果たすべき役割を分析した上で動いていきたいと思います。