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人生を変えた金目鯛との出会い

夫は、沼津魚市場で一番古い貝問屋の三代目として生まれた。

※以下文章での続柄は、夫側からの呼称で記す。

一代目の祖父が魚の行商から始め、二代目の父は魚市場で大衆貝(アサリ、シジミ、ハマグリ、カキなど)を扱う店を開き、またウナギの加工販売や干物販売を手がけた。

1970〜1980年代、仕入れれば仕入れるだけ貝は売れた。主要道路がまだ舗装されていない砂利道だった頃、トラックで何時間もかけて往復し父は貝を仕入れた。働けば働くだけお金になった時代。寝る時間がもったいないほどだったそうだ。

ウナギは、さばくところから。自宅兼作業場では、母がウナギを樽から取り出して頭を落とす。父は捌く。叔母が串を打つ。コンベア式の焼き台に入れるのは祖母。ウナギはいくらでも売れた。小学生だった夫も家を手伝った記憶があるそうだ。

ところが、1980年半ばに、中国からの養殖ウナギの輸入自由化により、それまで高級品だったウナギが安く日常で食べられるようになり、国産ウナギが売れなくなった。

1990年代にはバブル崩壊。とたんに貝が売れなくなった。
貝だけでは食べていけないと判断した夫は、1995年に沼津魚市場のセリ権を取得して鮮魚の仲卸を始めた。夫は当時23歳。未知の分野に無我夢中で飛び込み現在まで30年、夫は走り続けた。包丁を使える仲買人になるため、何百本も何千本も魚をおろす日々だった。

仲買人になって2〜3年目の頃、人生の転機が訪れる。
市場の仲間が騒いでいる金目鯛を自分で食べてみたのだ。
それまで「金目鯛はなんでも金目鯛でしょ」と思っていた夫が『驚愕で震えた』と後に語る、『川奈の地金目』である。


脂乗り、身質、ともに最高


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伊豆半島の金目鯛は『地金目』『島金目』『沖金目』と3種類に分類される。

地金目鯛
伊豆半島から神津島より手前で、日帰りで一本釣り。
良い潮がとおり餌である赤海老や小魚が豊富な場所、いわゆる『瀬』に居着いて、脂乗りよく身質が細やかで味が濃く最上級のブランド金目鯛。
1kgを超えると味が化けると言われるが、近年の漁獲量は少なく、その値段は青天井。幻の金目鯛である。
しかし近年エサとなる赤エビの減少により水揚げが激減している。

島金目鯛
神津島や八丈島や新島などの島周辺で育ち、島の日本列島側で漁獲される。
船も地金目を漁獲する小船と違い、何日も回遊出来る中型船で漁が行われる為、水揚げの場所や水揚げされた日により水揚げ状態が大きく変わる為に魚もムラがあるが、時期によってはしっかりと脂も乗り、水揚げ状態さえ良ければ鮮度も良い金目鯛。

沖金目鯛
島よりも沖側で漁獲される金目鯛。
島金目を漁獲する中型船より更に大きな大型船で漁が行われる為、殆どが一日では帰って来れない様な場所を数日から一週間かけて漁を行ってから港に水揚げされる為、鮮度も身質も地金目には遠く及ばない。

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25歳の夫は、川奈の地金目に人生を変えられた。
「金目鯛」は、なんでもかんでも「金目鯛」ではなかった。
『時期』と『場所』と『魚の取り扱い』、これにより、魚はまったく違う味わいを見せる。
自分が受けた感動をそのままお客様に伝えたい。「お魚ってこんなに美味しいんだ!」とお客様に感動してもらいたい。

それから魚を追いかける日々が始まった。それは終わりのない自分との戦いでもあった。

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