田中正造没後110年・足尾銅山閉山50年記念大阪集会が12月2日、大阪市内で開かれ、54人が参加しました。
オープニングとして、田中正造を描いた絵本『わたしは石のかけら もうひとつの田中正造物語』(越川栄子作、やまなかももこ絵、随想舎)の朗読が行われ、絵本を通して田中正造の人柄や歩みが共有されました。
田中正造の養女ツルの孫にあたる大川正治さんからのメッセージ(後段)が紹介されたあと、宇都宮大学で環境政治学を研究する髙橋若菜教授が、「足尾の光と影を語り継ぐ―いま何を継承するのか―」をテーマに講演しました。
髙橋さんは、高校生の時に『地球環境報告』(石弘之、岩波書店、1988年)を読み、「軍備予算の一部でも環境に振り向けられたら」と思ったことから、環境問題は政治の問題だと思って環境政治学にすすみ、福島原発事故の避難者調査をきっかけに田中正造や足尾への関心を強めたと紹介。
足尾は銅山の活況による受益があった一方、有害廃棄物や煙害の発生、外国人強制労働など受苦の歴史があることに触れ、「負の歴史に誠実になること、共感共苦(コンパッション)が非人間的な行為の再来を防ぐ能力につながっていく」とし、現代の環境政策について、「どこかに悲惨な環境状況を押しつけるのではなく、市民参加を極大化して民主的な決定をしていくことが重要だ」と話しました。
田中正造の「人民を救う学問を見ず」という言葉を紹介し、自身が科学者として現場で何が起きているのかを知り、問題提起をしていきたいと締めくくりました。
休憩を挟んで、文化行事として、栃木県が市民レベルでジャズ文化を発信しているということで、大阪で音楽活動をしているNaoさん(ボーカル)と和泉みゆきさん(ピアノ)によるジャズライブが行われました。
Naoさんは、学生時代に「田中正造の直訴とその後の天皇観」(箕裏奈緒、2004年)を執筆しており、「私が田中正造を研究するきっかけとなったのは、フランスの思想家のシモーヌ・ヴェイユ。ヴェイユの『坑夫の職業と大臣の職業とは、詩人の天職と数学者の天職と同じようにまったく個別の二つの天職である。坑夫の身分に結びついた物質的な過酷さは、それを耐え忍ぶ人間の名誉に数えられるべきである』(『根をもつこと』)という一節にすごく感動して、普通に暮していた人たちが文化を奪われてしまったことを自分の目で確かめてみたいと思った」と振り返りました。
歌とピアノの演奏で、集会の内容を心に落とし込む時間となりました。
この他、会場内で田中正造や足尾に関する歴史資料の展示が行われ、参加者からは、「近代化の負の側面を知り、胸が痛んだ。持続可能な発展を私も考えていきたい」「田中正造の闘争が多くの方に語り継がれてほしい」などの感想が寄せられました。
【集会に寄せられたメッセージ】
集会には、田中正造の養女ツルの孫にあたる大川正治さん、足尾を含む栃木2区選出の衆議院議員・福田昭夫さん、比例代表選出の参議院議員・岩渕友さん、比例代表北関東ブロック選出の衆議院議員・塩川鉄也さんからメッセージをいただきました(到着順)。ご紹介します。