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【自己紹介#2】沖縄情報発信に対する想い

今日は告知していたとおり、

わたしが沖縄情報発信に取り組んでいる理由について

お伝えしたいと思います。

長文になりますが、

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


01. 大阪うちなーんちゅ

私は大阪生まれ大阪育ちの関西人ですが、ルーツは沖縄にあります。

今帰仁村出身の曽祖父が、

大正13年に沖縄1世として大阪へ移住してきました。

祖父は、里帰り出産のため大阪ではなく今帰仁村で生まれ、

幼少期を沖縄で過ごし、

のちに本部町出身の女性(祖母)と大阪で出会い、結婚をしました。

その2人の息子である私の父は大阪で生まれ、大阪で育ちました。

大阪には大正区という地域があり、

そこには多くの沖縄出身移住者が住んでいることから

リトル沖縄と呼ばれています。

わたしはその大正区の隣町、西成区に住んでおり、

西成にもたくさんの沖縄県出身者がいます。

02. 沖縄文化はいつも身近にあった

小さい頃から沖縄県人会の行事に参加し、

食卓にはゴーヤーチャンプルーやポークが並び、

親戚行事があるたびサーターアンダギー作りを手伝い、

大阪に住みながらも沖縄はいつも身近にありました。

そんな私がはじめて沖縄に行ったのは小学生の時。

「こんな綺麗な海が日本にあるのか!」

と大阪湾しか知らなかった私は衝撃を受けたのを覚えています。

03. 沖縄のために何かできないか

社会人になってから時間とお金を作っては沖縄へ行き、

沖縄の魅力をだんだんと知るようになりました。

沖縄の自然や、伝統、人に宿っている”美”を残していきたい。

そういう想いが、沖縄を訪れるたび強く募っていきました。

「大阪に住んでいても沖縄のために何かできないか。」

それなら自分の得意分野を活かして

大阪にいる沖縄ファンに喜んでもらえる情報をお届けしようと、

情報発信サイト『大阪うちなーんちゅライフ』を立ち上げました。

大阪に住んでいる自分だからこそできる

沖縄と大阪の架け橋として、

大阪うちなーんちゅならではの視点で、

みなさんの生活が豊かになる情報をお届けしています。

04. ルーツを見直して気づいたこと

沖縄情報を発信するからには、

もっと沖縄のことを勉強しないといけない。

自分のルーツについて深く見直したい。

そう思い、親戚に話を聞いたり、

曽祖父が書き残した日記を読んだりするようになりました。

そこには、故郷・沖縄から大阪へ渡るときの気持ちや、

琉球人差別、戦時中の大変な様子などが綴られ、

どれも今まで聞いたことがない話でした。

05. 今の環境は当たり前じゃなかった

その当時のことをさらに文献などで調べると、

大阪での琉球人に対する差別は想像以上に酷いものでした。

差別から自分の身を守るため、また自分の子供を守るため、

沖縄出身であることを隠し通した人も少なくありませんでした。

こうした厳しい時代を生き抜いてきた世代に比べ、

自分の世代はどうなのか。

「沖縄にルーツがある」と友達に言うと、

沖縄ブームのおかげで、羨ましがられることがほとんどでした。

これが当たり前ではなく一体どれほど有り難い環境なのか。

子供の頃は考えたこともありませんでしたが、

先人が幾多の苦労を乗り越えてきてくれたからこそ

今の環境があるんだなということを感じるように。

06. ウチナーンチュとしての誇り

また、ウチナーンチュに関する本を探していた時、

大阪生まれのウチナーンチュ二世である

仲村清司さんが書かれている一冊の本に出会いました。

沖縄の人たちは移り住んだ先で生まれた子どものことを二世、三世と呼ぶのがごくふつうのことになっているのだ。考えてみればフシギなことである。たとえば、青森の人や徳島の人が東京や沖縄に移住し、そこで子どもが生まれたとしてもそうは青森人二世とか徳島人三世とは呼ばないはずである。
中略
いいかえれば、それほどまでに一世の人たちは沖縄に対する帰属意識が強かったということになる。

『沖縄学』仲村清司

なるほど。

だから県出身者は沖縄アピールが凄いんだと納得。

だとすると、そこまで沖縄人であることに

誇りを持っていた先人が、

昔は盛んに行われていた県人会や郷友会の行事が

減少傾向にある今の状況を見たら

一体どんな気持ちなんだろうと。

07. 移り変わりゆく世代

少子高齢化も原因の一つですが、

沖縄にルーツがあることを

特別意識しない世代が増えてきています。

3世、4世、5世と世代を重ねていくごとに、

沖縄とのつながり意識が薄れていくことは

仕方がないことかもしれません。

ですが沖縄のことが好きで好きで

たまらなかったご先祖さま達。

自分の子孫が沖縄に対して関心が薄ければ、

「沖縄のこと忘れんといてや〜」

とグソー(あの世)でシュンとしているかもしれません。

08. 沖縄4世として何ができるか

たとえ沖縄の血は薄くても、沖縄に想いを馳せ、

子孫みんなで仲良く助け合いながら

沖縄を盛り上げていくことができたなら、

きっとご先祖さまは喜んでくれるだろうし、

それが最大の恩返しになると思いました。

運営サイトをきっかけに、自分と同じ世代、

また、これからの世代の大阪うちなーんちゅが、

もっと沖縄に関心を寄せ、沖縄を大好きになってくれたら

これほど嬉しいことはありません。

沖縄1世として大阪へ渡ってきた私の曽祖父は、

沖縄と関西の絆が途切れることなく継承して欲しいと願い、

県人会や郷友会の立ち上げに携わり、

その想いは2世、3世へと受け継がれてきました。

4世である私もその想いを引き継ぎ、

大阪と沖縄の架け橋として沖縄文化の継承や発展に

貢献していきたいと思っています。

最後に:大阪の沖縄情報発信サイトについて

大阪で楽しめる沖縄情報や、沖縄旅行情報など、

沖縄に興味を持たれてる方に、

1つでも有益な情報をお届けできるよう心掛けています。

サイトを通じて、沖縄により一層関心を寄せてくれる方がひとりでも増えると幸いです。


長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました🌱


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