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世界の終わりとハードボイルド物干し竿

2025年03月01日(土)

 多くの人に惜しまれながら、2月が終わった。
 古代ローマの人々が2月を1年の終わりとし、日数の調整に使っていたことやローマ皇帝オクタヴィアヌス余にちなんだ8月は31日にしろと言ったからとか、要するに古代ローマのせいで2月は短くなってしまったのだが、いずれにせよ、2月は終わってしまった。また来年。

 私の暮らすマンションに工事が入ることになった。
 大規模修繕、というやつである。
 取り壊すほどではないがガタの来たマンションの外壁を塗り直したり、古くなったところを取り換えて延命措置を図りましょう、という工事だ。

 そのためにベランダを片付ける必要があるのだが、これに難儀している。
 物干し竿が、家から出ないのだ。
 この機会に捨てようと思ってなんとか努力してみたのだが、どうやっても玄関のコーナーリングを超えることができない。
 いったい、どうやって運び込んだのだろうか? まさか、成長した?
 ついには完全に壁と天井に挟まってしまい、私は「ああ、これからは物干し竿によって区切られた住居で生活するのだ……」と悲嘆するはめになった。


 さて、世界が終わりそうだ。
 世界が終わると言っても宇宙が消滅するわけでも太陽系が吹き飛ぶわけでも地球が氷に覆われるわけでもないし、全大陸の生物の98%が絶滅するという話でもない。精々、人類の意識の上での話に過ぎない。

 ウクライナをめぐるロシアの侵攻は欧米諸国(主に米)や日本など、民主主義諸国の支援によって、辛うじて支えられてきたが、最大のスポンサーであるアメリカの大統領がトランプに代わり、状況が変わろうとしている。

「それくらいで世界が終わるなんて、大袈裟な」と思うかもしれない。
 けれども、9.11でジャンボ旅客機がワールドトレードセンタービルに突っ込んだ時に世界が終わったと思ったアメリカ人はいただろうし、冷戦が終結した時に東側の人々にとっては世界が終わったに違いない。その他にも様々なタイミングで、「その人」にとっての、世界は終わり得るし、何度も終わってきた。

 私にとっての“世界”は物心ついて以降の、冷戦終結後の「ガタつきながらも国際秩序なるもの」が存在して、「地球儀の国境線が誰かの侵略によって大きく書き換えられることのない」という”世界”だ。
 それはどうやら、終わろうとしている。


 世界もマンションも、ほんのちょっとしたことで、昨日までとは変わってしまう。どこかの国の大統領とどこかの国の大統領が生放送で大喧嘩したり、自宅の廊下が物干し竿で封鎖されてしまったり。
 それでも地球は回っていくし、エンディング・スタッフ・ロールは流れない。映画なら観終わればポップコーンとコーラの屑を捨てて日常へ帰ればいいが、残念ながらここは、その日常の方なのだ。

 ちなみに物干し竿は、まだ我が家にある。
 捨てられる目途は、立っていない。
(ところでこの物干し竿はどうやってベランダまで運び込まれたのだろう? この謎が解ける日はくるのだろうか?)

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