![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65477116/rectangle_large_type_2_8105a5e8e757980b0b7b04590164b980.png?width=1200)
眼聴耳視!
空気がおいしい・・・とか星がきれい・・・
この表現、よく考えてみたら正しくないですよね?
空気のどこが美味しいのか、その味を教えてくれ!と言われて応えられる人は多分いない。
星は星自体不変ですから、ある人には奇麗で、ある別の人がそうでない・・・ということはあり得ません。
そんな不毛な話をしても仕方ありませんが、要は、空気がおいしい(と感じる)自分
星がきれい(に感じる)自分・・・という自身の感性に他なりません。
雲がかかって星が奇麗に見えない場合、それは星が奇麗ではない・・・ということではありません。
普段あまり意識しない?「自分自身のモノを見る目」
このモノを見る目を養い、それを言葉にすること・・・そこから感性が生まれると思います!
普段、ついつい言葉にしてしまうこんな表題の表現も「自分自身のモノを見る目」と意識することって結構大事かと思います
「眼聴耳視」(がんちょうじし)って言葉があります。
眼で聴いて、耳で視る・・・これいい言葉だなあ~と思っていますが、正解がない、見えないといわれる最近のコロナの流行と併せて流行語のように使われる「VUCAの時代」(不確実な時代)には、益々必要な感性
もはや、正確を正しく、早く導き出す能力(従来の偏差値的な能力)とは違う、自分の意志・・・このような感性を高める行動にはこの「眼聴耳視」