どんな選択をしても良い〜治すことは諦めた。でも、生きることは諦めない〜
今日、私は、昨日の自分の投稿を自分のちっぽけさを深く反省する良い機会を頂きました。
YoutubeでTEDトークを観ていたところ、佐々木美和さんというチャイルド・ライフ・スペシャリストの方の『受け入れるという生き方』という講演会に出逢いました。
正直、涙無しでは観れない素晴らしいものでした。
私達は、人生で、誰かのためと思って何かをするとき、してあげるという気持ちを持ちがちですが、佐々木さんによると、そうではなく、ただその人を思って側に居る、寄り添うことがとても大切だということを仰っていました。
私は、クリスチャンだった頃、奉仕する時、何かをしてあげていると思いがちだったと思います。
一方で、お友達と助け合う時、その様な気持ちではなく、役に立てたら良いけど、それ以上に、その友だちの苦痛を少しでも軽くして、半分にでも減らせたら、、、と思っていました。
人生や、物事に100%は起こり得ないことが多いのですが、佐々木さんは、人生で全ての人にとって100%起こりうることを教えてくれていました。
『死ぬということです』
そして、具体的に、死を間近にしながらも、懸命に生きていた、そして、生きている2人の青少年のことを話してくださっていました。
『たとえ機械に繋がれて動けなくなっても、治療を続けていればそれは頑張っていると言えるのだろうか、諦めて良いのか』
と、2人の内一人の友人を失った遺された青少年が言葉を漏らします。佐々木さんは、その青少年にこう仰ったそうです。
『どんな選択をしても良い。』
と、あるがままの自分の姿を受け入れてもらった青少年の心の重荷は、佐々木さんの言葉によって、きっと軽くなったのだろうと思います。
そして彼は、後日、佐々木さんにこうおっしゃいます。
『治すことは諦めた、でも、生きることは諦めない。』
深い言葉に、嗚咽を漏らしてしまいました。
私は、昨日まで、治すことは諦め、生きることも半分諦めながら、惰性で生きていました。
しかし、彼が、自分が生きている間に、何かできることを探し、愛知県に、院内高校を設ける為に手紙を書いたという行動力、生きることを諦めないその姿勢に本当に心が動きました。
私の疾患は、完治はしませんが、完全寛解する疾患で、彼らより、生命の危機的状況ではありません。
だからこそ、命が無限だと錯覚し、長くこれからも続いていくであろう未来を大切にしない選択をしかけていたのだと思います。深く反省しました。
佐々木さんは、最後に上述したニーバーの祈りを紹介して下さいました。
私の過去を変えることは出来ません。
どんなに恨んでも嘆いても、幸せな過去の記憶という風に急に変わることはないでしょう。
変えられないのなら、受け入れ、変えられるはずである、未来をいつか医師に戻れる日が来るまで、諦めずに、出来ることから頑張る事が大切なのだと、佐々木さんの講演を拝聴し、感じました。
素晴らしい講演を聴けたことに、心から感謝します。
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