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人生から問いかけられる、生きる意味

最近、ロゴセラピーに興味が有ります。

ヴィクトール・E・フランクル先生の確立した心理療法です。

夜と霧も途中までしか読めていない私が、興味があることを主張するのも変だと思うのですが、今日、仕事が休みだったので、2冊、ロゴセラピーの本を図書館で借りてきました。

私は、幼少期からいじめられっ子でした。

躁状態の時は、弁が立つのですが、基本的に自己主張ができないタイプで、持病の影響もあり、キャラが確立しないことが特徴でした。

いつも、模範的であろうと大学受験浪人最後の年は、9〜14時間位毎日勉強を続け、幻聴の症状が出る直前の模試は、その都道府県で1位の成績を取っていました。

しかし、その生活は、己を抑圧し蝕みました。

そして、任期を全うすれば学費のかからないことで有名な名門である第一志望校に不合格になってから、人生への不満が噴出し、今まで、友人達からひたすら聴き続けた数々の他人への陰口を、さも、自分の考えかのように、ある一人の年の同じ男を信頼し、あまりのストレスに耐えきれず、ぶつけるかのように言ってしまいました。

彼は、私が信頼していた程の人格者ではなく、何でも人に言ってしまう癖があり、私の人生は、大学入って早々、いじめられ、統合失調感情障害になるというように、人生が転落して行ったのでした。

私は、ロゴセラピーを知るまで、ヴィクトール・E・フランクル先生を知るまで、自分の人生の意味を答えてくれるはずもない人生に問うては、生きてる意味なんてないではないか!!と憤っていました。

しかし、そんな私が、今、看護助手として、とても恵まれた人間関係のもと、働けていて、そろそろ医師に戻れそうな未来に近づいているのは、人生が、私に生きる意味を一つ教えてくれている気がします。

私が、人生から問いかけられた生きる意味は、嫌われ者が、生涯嫌われ者であるわけではなく、広い世界に出たら、自分を愛してくれる人もいる世界が必ず存在し、時期によっても、自分を嫌っていた人に慕われることすらあるということを、私の様に、人生の大半を変人扱いされ、嫌われ、虐められてきたと思い込んでいる人に伝えることなのではと考える様になりました。

今でも、名前を聴いたり、その人の話をするだけで、親しくもなったことがなく、自分のことも噂程度にしか知らないくせに、さも、知っているかのように装い、悪評を流しまくった私の天敵ともいえる人々を恐れる心はあります。

4月から、研修医になったら、恐らく、病院で、その人々とすれ違うことでしょう。

その恐れに縮こまって、自分の夢を捨てる位なら、私がかけてきた時間や努力はその程度なのだと烙印を押されることになります。

しかし、この恐れに打ち克ち、少しでも、自分には、少しの力もあるか分かりませんが、自分に似た、人生に絶望している方に、先代の母校の精神科の教授が仰って下さった様に、
『あなたは、良(善)い人です。』
と声をかけられる様な人になりたいです。

そして、今は、模索段階ですが、私が、たった四ヶ月でしたが、お世話になった、常識的に考えると、私なんかが働けるはずがないほど素晴らしい病院である研修病院の教授が、退職の時に、仰って下さった

『あなたにしか出来ない、医師としての働きがあると思う』

という、まさに、人生からの問いかけの答えを探すキッカケになった御言葉を胸に、今の仕事から学べることを存分に吸収して、初期研修に備えたいと思います。

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