We are walking orchestra
Sphery Rendezvousの初日に立ち会えた。
座席に座り開演を今か今かと待ち望んでいた時、購入したグッズに身を包んでベルーナドーム前のファミマで行列の一部となっていた時、ヘッドフォンを装着して家を出て最寄り駅へ歩いていた時、このツアーについてずっと考えていた。
このツアーでBUMP OF CHICKENが伝えたいと思っていることはなんなんだろう。
そう考えながらひたすらIrisを聴き続けていた。
ただ、小手指駅ではたと気付いた。
今日ずっと考えてきたこのテーマをひっくり返すとこうなるんじゃないか。
Irisから、曳いては今のBUMP OF CHICKENから私が受け取りたいと思っているものはなんなんだろう。
テーマの裏側に自分の望みが潜んでいたことに気付いた次の瞬間には、ライブの感想とは別で記事を書きたいという気持ちがむくむくと湧き出てきた。
発信側が意図していた(と思われる)Sphery Rendezvousと受信側が希望していたSphery Rendezvousの答え合わせをライブの後にしてみようじゃないか。
そんな思惑からこの記事を書いている。6連勤の最中に。眠い。
ちなみに記事を書こうと思い立ってすぐ、小手指駅を出発した時点でタイトルは決まっていた。
◆受信側(ライブ前)
Irisはトンネルのようなアルバムだと思っている。
中は暗く、光は遠く、足元さえ覚束ない。
手に持っている微かな灯りを頼りに出口を目指す。
一歩ずつ。
言葉は交わさないが目的地が同じとわかる人たち。
やがて近づいてくる明かり。
トンネルを抜けた先に待ち構えている祝祭。
これが私なりのIrisのイメージだ。
トンネルはそのまま「生活」や「日常」と置き換えられる。
こんなイメージを持ったアルバムのツアーであるから、当然ライブ演目も生きること(=歩くこと)にフォーカスされている楽曲になるだろう、と私は考えていた。
以下入場前の私の思考。
基本Iris楽曲がメインとしてIris外からはGOとfire signが入るだろう、GOはメロディフラッグ、fire signはモーターサイクルと入れ替わりで、テーマに対して直截的すぎるからギルドは逆にやらないのでは。
◆答え合わせ
全然違った。
違くなくもないんだけど、私が考えていたような連呼されて食傷してしまうようなセットリストではなかった。
3曲目に車輪の唄が演奏されて、4曲目に記念撮影が披露された。
想定外も想定外。
(曲順誤り。車輪の唄→4曲目、記念撮影→5曲目※訂正日24/10/13)
当日のnoteにも書いたが、この日のベスト演目を選ぶなら私は車輪の唄を挙げる。
今読み返すと「最高」を文中で9回も使っていた。
タイトル入れると10回。高揚感に語彙力を奪われている様が如実すぎる。
私が最初にバンプを好きになったのはKやラフメイカーといったストーリー仕立ての楽曲たちだった。
いつの間にか物語から離れてしまい、蜃気楼を追いかけるように作詞家の想いを捕まえようとしていたように思う。
大切だったものが今でも輝いていることを教えてくれた唄。
降りかかってくる理不尽から守ってくれる傘のような唄。
唄に救われる、といった感覚は正直分からないが、力をもらって何とかやってこれたなと感じる瞬間は確実にある。
そして今回のツアーはそういった曲たちの博覧会になるのだと勝手に思っていた。
そんな背景があっての車輪の唄を聞いた私の驚きようと言ったら。
回避不可避のボディブロウを受け止めようと力んで縮こまっていたら、肩を叩かれて軽やかにアゴを打ち抜かれダウン、10カウントの間、同級生の家でFLASHを何度も再生している中学生の自分やSCHOOL OF LOCKを一生懸命MDに録音しようと悪戦苦闘している高校生の自分と握手を交わしているようなそんな気分だった。
お前たちの想いは今に繋がっているよ、と。20年経っても夢中だよ、と。
そもそも「ランデブー」とは。
ライブ前の認識
Sphery→バンプのドームツアーに相応しいスペーシーな単語
Rendezvous→ファンの期待値を加速度的に煽ってくれるブースター
ライブ後の解釈
Sphery Rendezvous
→楽曲をハブとして演者と観客、今の自分と昔の自分とを引き合わせてくれるバカでかい磁力を放つ天球
過去の楽曲により立ち現れるのは過去の自分である。
その時の感情と状況が想起され、ライブ中でありながら昔の自分のみならず記憶の中の大事な人たちと思いがけず遭遇する。
そして「ねえどんな昨日からやってきたの」と問われて堰が決壊するのだ。
もちろん「私」だけでなくちゃんと「君」とも待ち合わせる。
SOUVENIR、アカシア、窓の中から。
私が持っているIrisのイメージでいう「祝祭」に該当する楽曲たちだ。
帰り途、旅路、交錯の中の遭遇。
どの楽曲も他者との出会いを心待ちにしており、歩みを進めていくことで得られる喜びを高らかに歌い上げてくれる。
これまでの自分の歩み、まさに今ドーム内にいる全員、その後に続く日常、そのどれもが待ち合わせと呼んで差し支えのない時間たちなのだとライブを通じて気付かされる。
「待ち合わせ」にこれほど多層的な意味合いを含ませているとは想像もできなかった。と勝手に脱帽している。
あとリリースから20年経ったレムを今回初登板させたのも彼らなりの待ち合わせと取れるのではないかとも思うがどうだろう。
ベルーナドーム以降のセトリは見ないよう我慢してきた。
他の会場のセトリを見たらきっとこの「待ち合わせ」の辻褄が合わなくなるという予感があったから。
これ以降はセトリを眺めながら友人が当ててくれた東京ドームがどんな内容になるのか、楽しみながら待ち合わせまでの時間を過ごしたい。
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