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映画『燃えよ剣』ロケ地&新撰組聖地巡礼の記録

沖田オタクは歩いた、京の街を。この夏にしか見れないものを、求めて。

例年京都観光協会が開催している「京の夏の旅」。今年のテーマは、「新選組結成160年&世界遺産」だ。普段は非公開にされている、貴重な新撰組ゆかりの地を訪れることのできる絶好の機会。そこで、映画『燃えよ剣』の沖田総司登場シーンを中心としたロケ地探訪もかねて、一泊二日の聖地巡礼の旅に出かけることとなった。


◆東寺【燃えよ剣ロケ地】

沖田オタクの、朝は早い。
出勤日より早く起床し新幹線に乗り込み、8時半には京都駅に到着する。

東寺は、京都駅八条口から徒歩15分の場所にある。新幹線の車窓から京都の街を眺めると目に入る、「おっ、京都来たな〜〜」と感慨に浸れる、あの有名な五重塔のあるお寺だ。

撮影の行われた国宝・金堂

国宝・金堂にて『燃えよ剣』の清河八郎の演説シーンが撮影された。
堂内中央に高さ約三メートルの薬師如来が鎮座し、両脇には日光・月光菩薩。金堂も仏像も、どちらも安土桃山時代に造られたとされる。何百年という時を経て今なお、ここに在るのだ。正面の格子窓から差し込む光を浴び、神々しくも静かに佇む仏像達。もちろん国宝なので写真を撮ることはできない。ここで映画を撮ることが許された、とは凄いことなのだと改めて思う。
金堂の天井は非常に高く、三体の仏像以外はなにも置かれていない。そのためか、すこしがらんとした印象がある。映画では、仏像の背中側の右奥隅にカメラを高く設置して、堂内を俯瞰するようなアングルがある。攘夷を志して上京してきた浪士達が、この広い堂内をみっしりと埋め尽くしていた。そのなかに、沖田もいたのだな…つまり山田涼介さんもこの景色を観たのだな…と感慨に耽った。


ランチは「手毬寿司と日本茶宗田」

◆旧前川邸

そしていざ、新撰組の聖地へ。

旧前川邸は、新撰組結成時から二年間、新撰組の屯所のあった場所である。新撰組のメンバーは、前川邸、向かいの八木邸ほかに分かれて暮らしていた。
今回特別拝観となったのは、その旧前川邸のなかでも東の蔵、と呼ばれる場所である。ここでは古高俊太郎の拷問が行われたとされている。古高とは、長州藩の過激派。新撰組はこれを捕縛し、この蔵に逆さ吊りにして拷問した。しかしなかなか口を割らないので、土方は彼の踵に五寸釘を打ち込み、蝋燭を垂らした。すると古高はあまりの痛みに耐えかね「風の強い日に御所に火を放ち……」と情報を漏らしたと伝わる。大規模なテロ計画の情報を手に入れた新撰組は、首謀者達を捕縛するため池田屋に乗り込む。あの有名な、池田屋事件だ。
その事件の発端となった、凄惨きわまりない場所を見ることができるということで、少し緊張した。東の蔵は本来、貴重な書類を保管しておくための倉庫として造られており、扉は非常に分厚く、厳重。地下には隠し金庫もある。ものものしい気持ちになった。急な箱階段を昇り、二階へ。目に飛び込んだのは、荒縄と滑車。視線を下に向ければ、床の一部が抜けるようになっていた。この荒縄・滑車は、地下から一階、二階へと荷物を昇降するためのものらしい。
観光協会のガイドが待ち構えたように、解説を始める。なんと、今目にしている滑車の金具は、当時のままのものらしい。つまり、古高を吊り下げて拷問を行った滑車そのものを今、目にしているというわけだ。なんだか、錆びた鉄に染みついた血すら見えるような気がしてしまう。
どんだけ残酷な見せ物なんだ、と思わないでもない。だがガイドはいかにも、観光の目玉ですよさあさあよく見てください、というテンションだったのが面白かった。


チケットに印刷されている、例の荒縄

この東の蔵の窓からは、はす向かいの八木邸の入り口が見える。ガイドがおっしゃるには、なんと芹沢暗殺の日、土方はこの東の蔵にいて、窓から芹沢の様子を伺っていたというのだ。角屋で酔っ払わせた芹沢が帰宅したのを見届け、沖田らに暗殺の指示を出したということか。そんな情報、初耳である。
土方になったつもりで、窓から外を覗く。現在八木邸の入り口には大きな木が生えていて、母屋のはよく見えない。しかし少なくとも幕末当時にあの木はなかったので、八木邸に出入りする人の姿はハッキリと見えたはずだということだった。こういう生々しい情報が得られるのも、聖地巡礼の醍醐味である。


写真右上が、東の蔵の窓である。ここから、土方は八木邸の様子を見ていたのだ……


東の蔵に残されている、新撰組の刀傷

また、旧前川邸といえば山南敬介が切腹した場所としても知られている。しかし実際に切腹した部屋は東の蔵ではなく、母屋の方であり、今回は目にすることができなかった。山南が、明里に格子越しに別れを告げたという窓は現存していない。

◆壬生寺

旧前川邸の向かい、八木邸のお隣にあるのが新撰組に非常にゆかりの深い、壬生寺である。

壬生寺境内

この境内で、沖田総司は壬生の子どもたちと遊んだと言い伝わっている。なんて可愛いんだ沖田さん……
壬生寺にとって、新撰組とは迷惑な存在だった。毎月四と九のつく日に軍事調練を行い、空砲を打つので、寺の屋根がガタついた。困った壬生寺は、空砲を打つのをやめてくれという嘆願書まで出したらしい。しかし明治の世には朝敵となった新撰組をこんにちまで守ってくれたのも、ほかならぬ壬生寺である。
寺の境内には新撰組隊士を祀る壬生塚があり、今も新撰組をこよなく愛する者達の参拝はたえない。


土方歳三像。若かりし頃の総髪姿である

今回の特別拝観では、新撰組結成160周年を祈念して立てられた土方歳三の新しい像のほか、新撰組の羽織(復元)、和泉守兼定の展示などが行われていた。また壬生寺といえば、壬生狂言という伝統芸能が有名。能のお面も飾られていた。新撰組の皆も、壬生狂言を楽しんだに違いない。

◆新徳寺

今回の「京の夏の旅」キャンペーンのなかでも特に目玉だったのが、この新徳寺だ。清河八郎が、江戸から引き連れた浪士たちを集め、「将軍警護ではなく尊王攘夷を目指す」と演説をうった、新撰組結成のきっかけとなったともいえる、歴史的な場所。なのにこれまで一度も、一般公開されたことがなかった。壬生に訪れるたびに、壬生寺の近所に位置する新徳寺の閉ざされた入り口を目にしては、「公開されとらんのかい!」と落胆していたものだった。
ちょうど朝、まさに『燃えよ剣』清川演説シーンのロケ地・東寺をみてきたばかりだったので、余計にテンションが上がるというものである。これまでさんざん、想像を膨らませてきた新徳寺の真の姿とは、いったいどのようなものだろう。


新徳寺本堂

新徳寺は、大きな寺ではない。ひっそりとした入口をくぐり、玄関で靴を脱ぐ。右手に進むとすぐ、座敷が広がる。写真は、清河が演説をしたとされる本堂。べらぼうに広い、というわけではない。ここに二百人もの浪士達を集めたらさぞ、むさ苦しかろうというかんじがする。
周りは住宅街だし、お庭は綺麗でこぢんまりとしているし、畳張りの、明るい日の差し込む和室はいかにも家庭的な雰囲気。本当にここで清河が…?と、なにが現実でなにが虚構なのかわからなくなる感覚に襲われる。
だがここは、紛れもなく歴史の舞台となった場所だ。本堂に続く、庭に面した六畳のスペースは、清河八郎が過ごした部屋だという。京都にやってきた彼はここで、尊王攘夷を叶える夢を描いていたというわけだ。しかし悲しいことに演説の約二ヶ月後に、「庄内藩の神童」「東に清河八郎、西に吉田松陰」とまで呼ばれた天才は、江戸で暗殺されてしまう。


飾ってある幕末の偉人の肖像画は、お寺の方が描かれているそうだ 上手すぎる 奥が清河の部屋

◆角屋


角屋外観

壬生寺から南に歩いて十五分。やってきたのは、京都島原に位置する、角屋だ。
新撰組モノの小説や映画を観ているとよく登場する、「島原」という地名。隊士が遊女と恋仲になったり遊女を落籍したりするのでなんとなく、色を売る場所なのかな、などという印象を抱きがち。だが、うっかりそんなことを京都で口にしようモノならガチで、しばき倒されること間違いない。
京都島原は「遊郭」ではなく、「花街」。今でいう高級料亭にあたり、大広間で宴会が行われるのみならず、お茶会や句会なども行われていた。いわば、俳壇や歌壇まで備えた文化サロンとして機能していた「島原」は、色街などとは一線を画す文化と教養の華咲く場所なのである。客は昼間に店を訪れ、庭の景観やお茶、句などを楽しみ、ゆったりと時間を過ごす。そして夜になると太夫や芸妓とともに歌舞音曲、食事と酒を愉しむ。それが島原での過ごし方だ。
それが証拠に、あの清河八郎はかつて母親を庄内藩から呼び寄せ、この角屋に招待して半日を過ごし、親孝行したという。このエピソードだけでも、島原が決して色街などではないことが明白だろう。(つい先ほど清河が京都での日々を過ごした新徳寺を目にしただけに、彼の親孝行話には泣けるものがあった)
無邪気な観光客が「江戸の吉原とは違うんですか?」と質問していたが、現地のガイドはそれを聞いた途端、なんと悍ましいことを!という顔をしたのでちょっと面白かった。

角屋はいわゆる「揚げ屋」であり、料理を作って出す店、いわば料亭だ。芸妓や太夫は、角屋から徒歩一、二分ほど離れた場所にある置き屋、「輪違屋」から派遣されていた。


輪違屋外観

余談ではあるが、映画「燃えよ剣」では沖田に心を寄せる糸里は、史実では輪違屋の遊女と伝わっている。

「揚げ屋」の名前の由来は、二階に客をあげることからきた。一階には、約百畳ほどにもなる広大な台所がある。先ほど、角屋は色街とは違うのだという話をしたが、では何をもって角屋は高級料亭たる「揚げ屋」であると定義されるのか。その条件は、三つある。ひとつは、寺並みの大きな台所を備えており、料理をつくって客に出すこと。二つめは、庭が見える座敷があること。三つめは、茶室があること。
なるほど一階奥の、角屋で最も広い座敷「松の間」は庭に面している。そして庭には茶室が二つ、配置されていた。庭の中央には見事な松が植っており、枝が長大な舟のように伸びている。

庭の松

この松は、江戸時代の当時からずっと姿を変えずに、残され続けているという。もともとの木の幹の部分は腐りかけているが、うまく枝を継ぐことができているらしい。
そう、まさにこの「松の間」こそ、芹沢鴨を暗殺するための宴会をひらいた場所である。彼は座敷の一番奥の上座に座り、この松を眺めたということだ。まさか数時間後に、暗殺されることになるとも知らないで。


写真右奥が、芹沢の座った場所だという 写真左側に、庭がある

角屋では、訪れる客の刀はお預かりするのが決まりである。文化の香り高い高級料亭で、斬った張ったは無粋にあたる。

玄関の刀掛

写真は、角屋の客用玄関。客の刀をまずは刀掛にいったん預かった後、従業員のみ立ち入れる台所内の刀箪笥に仕舞う仕組み。だがお察しの通り、その決まりを守らないのが、新撰組だ。自分達は京都守護職お預かりであり治安を守るのが仕事だから、という理由で刀を店内に持ち込んだ。二階には、新撰組がつけた刀傷が残っている。なお、入り口にも傷はあった。

角屋に限らず至る所に、刀傷を残しまくっている新撰組の皆さん

また展示スペースには、新撰組調役の発行した「賭け売り禁止の通達」なるものが飾られていた。この通達内には、新撰組の隊士が増えすぎてお金が払えなくなった、若い隊士が来ても決して掛け売りするな、ぐだぐだ文句を言うやつがいたら組に言いつけに来てください、というようなことが書いてある。
こうして京都で聖地巡礼していると、新撰組って……つくづく迷惑な連中では……?と遠い目をしてしまう。これが歴史の表と裏というやつか、それとも天皇贔屓の京都人目線の歴史というやつか。なんにせよ、新撰組がたしかに京で生きていた、という証を目にすることができるのは、楽しいものだ。

角屋ではほかにも、訪れた客の目を楽しませる粋な建築の工夫や、西郷隆盛が行水したとされるタライの展示(このタライが残っていたおかげで角屋は戦時中、政府による取り壊しを逃れる)など、面白いものを見ることができたが、詳細は割愛する。


「祇園北川半兵衛」にて

◆渉成園【燃えよ剣ロケ地】

京都駅から徒歩約10分。江戸時代に作庭され、国の名勝にも指定された渉成園にて、『燃えよ剣』のいくつかのシーンが撮影された。
例えば沖田が土方に、お雪に会いに行くよう唆すシーン。


場面写真より
ロケ地

池に面した木造の欄干は脆そうな見た目に感じられたが、映像を観る限りではあまり気にならない。
映画ではさらにこの場所で、糸里が沖田さんに急接近。「京のおなごの性が悪いのは、男はんしだいどす」と咳き込む沖田さんの口元に手拭いを差し出し……キイイ、羨ましい。思わず嫉妬に駆られた目つきで、庭を見つめてしまう。

また、新撰組の屯所・八木邸の入り口として使われた場所も。

ロケ地

雨の夜、芹沢を暗殺しようと、土方・沖田・山南・原田が八木邸に忍び込む。普段は締め切られているようだが、映画では木製の鎧戸が開けられていた。土砂降りの雨の中、笠をかぶった三人が駆け込んでくるのを、この三段の階段の部分に立って沖田さんは待っている。全員揃うと縦列をつくり、前の者の刀の柄を掴んで、八木邸に侵入するのである。

ここに、山田さんは立っていた…

映画の特典映像では、大掛かりな雨降らしの機材を持ち込んでの撮影風景を見ることができる。
渉成園は四季折々の花の咲き乱れる庭自体が素晴らしく、是非また訪れたいと思った。

京都タワーの見える、素敵なお庭

◆妙心寺【燃えよ剣ロケ地】

二日目。沖田オタクの朝は、今日も早い。
「京都人は朝はパン派が多い、朝にはパンを食べるべきだ」
昨晩、ご飯を食べた店で猛烈にそう勧められ、有名なパン屋、志津屋を訪れる。京都駅の屋上、大空広場のベンチスペースで、購入した美味しい惣菜パンをのんびりとほうばる。
曇りがちだった前日とは打って変わって、快晴。気温はぐんぐん上がる。真夏日に、屋上テラスで飯を食う酔狂な人間など、私のほかには誰もいなかった。

さて、京都駅からJR山陰本線に乗ること約10分。花園駅にて降車し、向かうは妙心寺。広大な敷地内には多くの塔頭が立ち並ぶ。足を踏み入れると、幕末にタイムスリップしたかと思うような場所だ。ここでも多くのシーンの撮影が行われたらしい。
最もわかりやすいのは上京前の、土方らと七里らの喧嘩のシーン。特徴的な櫓が目印だ。


ロケ地
ロケ地

土方が、沖田に刀を貸してくれと頼み、嫌ですよと断られるシーンは、こちらの写真。映画と見比べてみても、特に修正なくそのまま使われていることがわかって、おもしろい。
クランクインもこの場所で行われた。櫓のすぐ下に衣装がたくさん吊り下げられ、その前に佇む山田さんの姿を、特典映像で見ることができる。

◆西本願寺【燃えよ剣ロケ地】

この日は他にも別の場所も巡っていたのだが割愛して次の聖地を紹介したい。
西本願寺は、京都駅から徒歩約15分。浄土真宗本願寺派の本山。京都の街中でもひときわ目を引く広大な敷地には、世界最大級規模の木造建築・御影堂をはじめ、数多くの国宝や重要文化財が存在する。

でっけぇ〜〜〜!!!

京都の観光ガイドブックでは必ずといっていいほど紙幅を割かれて紹介されている凄い場所なのだが、実はこの地、新撰組が実際に屯所として使っていた。浄土真宗の信徒的にも聖地であり、後に国宝となるこの場所で彼らは寝起きし、軍事訓練を行っていたのである。新撰組オタクの私ですらさすがに、め、迷惑〜〜〜!と突っ込まざるをえない。
この西本願寺で、映画の撮影は行われた。しかも西本願寺に屯所を移転した、というシーンで。虚構と現実の重なった稀有な映像を、映画では観ることができる。

御影堂

この階段に山南さんは腰掛け、京の都で攘夷を忘れたと土方を批判をする。そんな山南に沖田は、「土方さんが攘夷を口にしたことはないです」と釘を刺す。
写真では目立つ、天井から吊り下げられた黒の金網。昔の西本願寺にはあるはずのないものだが、映画ではそのままかなりしっかり映り込んでいる。なのに特に違和感を感じさせないのが、不思議だ。

ロケ地

永倉らとともに西本願寺内を歩き、ここは広くていいですね、と顔を綻ばせる沖田のシーンの撮影場所も、歩くことができて楽しい。
なお、新撰組が実際に屯所としていた境内内の北集会所という建物は、現存していない。

◆石清水八幡宮【燃えよ剣ロケ地】

京都駅から南方面に、電車やケーブルカーを乗り継ぐこと約1時間半。やってきたのは、石清水八幡宮。小高い山の中にあり、撮影のためにここまで移動するのは大変だったろうと想像する。
ここでは、芹沢と土方の喧嘩を沖田が仲裁に来るという、個人的にめちゃくちゃ好きなシーンが撮影された。


場面写真より


神社に続く参道には、石塔が印象的に立ち並ぶ。


ロケ地

沖田が両者の間に割って入り、「それまで!」と叫ぶのは、このあたりが背景なのではないだろうか。
映画では蝋燭が点々と、足元を照らすように灯っているが、実際にはそんなものはない。撮影用に、杭の部分に灯りを置いたのかもしれない。ロープは映像では見事に、消されている。
ここで芹沢が沖田さんの背中をさすり、「よくないせきだ…」とか言って甘やかしてたんだと思うと、ニコニコしてしまうな。

「茶寮フクチャ」にて

再び京都駅に戻り、これにて聖地巡礼は終了。新撰組の足跡をたどり、彼らが確かに生きていたことを改めて感じることができた。そして念願の「燃えよ剣」ロケ地巡りも行えて感無量。ここに、山田涼介さんがいたんだ……私は今同じ景色を見とるんや……この土を踏んどったんや……と思うと甲子園の土ばりに、現地の砂を持って帰りたくなる気持ちだった。また映画制作におけるロケ地へのこだわりも、しみじみと感じることができた。どこも景観や建物が素晴らしく、歴史と趣を感じるところばかり。
思い出深い、一泊二日だった。

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