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大嶋あやのSASUKEヒストリー〜KUNOICHI完全制覇までの10年間〜vol.初出場に向けて

2025年1月13日(月)、オリゼ所属の大嶋あやのは女性版SASUKE「KUNOICHI」にて50名の出場者の中で唯一完全制覇を果たし、歴史にその名を刻みました。
彼女の鮮やかなパフォーマンスを目の当たりにし、「圧勝やん。」「彼女だけ簡単そうに見える。」「余裕あったな。」(Xより)と感想を抱いた視聴者の方は決して少なくないはずです。
(これを執筆している広報の私もそう思いながらテレビを見ていました。)
しかし、大嶋あやの30歳、KUNOICHI完全制覇への道は決して容易いものではありませんでした。そんな大嶋のSASUKE挑戦秘話10年分を全7話に渡り、本人に綴ってもらいます。
 
1.初出場に向けて
 2.SNSに苦しんだ時期
 3.KUNOICHI初出場
 4.SASUKE復帰
 5.1stクリアまでの道のり
 6.日本人女性NO.1と呼ばれる重圧
 7.KUNOICHI完全制覇
「ここまで細かく書くのは初めて。」と語り、KUNOICHI放送直後で何かと忙しい中、時には眠い目を擦って執筆に当たってくれました。
ぜひ彼女のヒストリーを覗き見て行ってください。そしてどうか大嶋あやのを応援してあげてください。

まずは、vol.1「初出場に向けて」です。

私のSASUKE初出場は2015年の夏。それまでの道のりは決してスムーズなものではありませんでした
SASUKE出場を目指したのは、高校生の時です。当時ソフトボール部で活動していた私は右足を骨折してしまい、部活動に参加できなくなってしまいました。それをきっかけに部員との人間関係がうまくいかなくなり、高校2年生の秋の大会が終わるタイミングで退部してしまいました。

ちょうどそんなとき、子どもの頃に見ていたSASUKEがテレビで放送しているのを見て、幼き日の記憶が蘇りました。「そうだ。私はSASUKEに出るのが夢だったんだ」と。
小学生の時に見た長野誠さんの綺麗な体さばきが高校生になってもなお鮮明に頭に焼きついていることに気付き、私の本当に進むべき道はソフトボール部ではなく、SASUKEだったんだと感じたのです

SASUKEに出場したいと明確な目標を抱いたはいいものの、当時は今ほどネットも普及していなかったので、出場手段を知ることは難しく、トレーニングはしていてもSASUKE出場には程遠い位置にいました

その間に大学受験を経験し、日本女子体育大学に無事進学が決まりました。大学では部活には入らず、SASUKE出場のために時間を使うことにし、自分なりにトレーニングを積んでいきました。
SASUKEを常に意識して生活していると、自然とSASUKEを目指す方々と接する機会が増え、どうやら募集が開始されるとホームページから応募できるようになるらしいということがわかりました

そして遂に、「SASUKEの出場者募集!」という広告を発見しました。「良い流れがきた!!」と思い、即、応募を完了させました。
ところが、いつになっても通過の連絡がきません。そう、初回の応募は落選してしまったのです。

どうして落ちたのか、何が足りなかったのか、何をしたらよかったのか、細かく分析をしました。そこで見つけた解決策が、まず私という存在を知ってもらうことでした。 具体的には、当時、日本人女性では誰もやっていなかった「家にSASUKEのセットを建てる」ことを決めました。

ここまでやったら顔を覚えてもらえるのではと考えたのです。 父に手伝ってもらいながら、クリフハンガー(注1)とバーティカルリミット(注2)を制作し、それを使ってトレーニングしている様子を動画に収めてSNSに投稿していました。
(注1)(注2)いずれもSASUKEエリアのセット名。

無事、2度目のHP選考は通過することができました。プロデューサーの前でヴァイオリンを弾くというギャップを狙った自己PRも行いましたが…。
そんなこんなで、やっとSASUKE初出場が決まったのでした。

ーーいかがでしたでしょうか。自宅にSASUKEエリアをお手製で再現して練習していたのは強烈なエピソードでしたね(笑)。思いつくこと自体もすごいですし、本当に形にしてしまうところがさすがです。
次回はvol.2「SNSに苦しんだ時期」を公開予定です。有名税とも言われる誹謗中傷ですが、近年では悲しい事件も多く社会問題とも考えられています。大嶋はSNSの誹謗中傷とどう向き合ったのか、センシティブな内容も赤裸々に語ってくれます。乞うご期待。
(執筆:オリゼ広報yuki)

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