M-1グランプリ2020 レビュー(後編)
M-1グランプリ2020レビュー、昨日の続きです。
前半はこちら↓
さっそくいきます。
7.オズワルド
昨年に引き続き、(結果的に)優勝コンビの次という出順になった。
ただ、今回は飲まれることなく、しっかりネタを見せられたと思う(昨年はミルクボーイの衝撃がすごすぎた)。
個人的にもすごく好きなネタだったし、最後まで楽しんで見ることができた。
ちょっと物議を醸したのが、松本さんと巨人さんで割れた見解。
「最後までオズワルドらしい静かさを貫いてほしかった」に対しての「最初からトーンを上げるとよかった」。
これはなかなかに次が難しいことになった。
ただ、ツッコミの伊藤さんのトーンに関しては、静と動が中途半端だったかな、という印象はややあった。
僕としては、「動」が少し多かった(結果、4割くらいが「動」のツッコミだったと思う)かな、と。
もちろん、自分たちのスタイルにメスを入れて、M-1仕様に寄せてきたという部分はあるだろう。
しかし、強いツッコミが中盤からぽろぽろ出てきたことで、溜めた笑いを小刻みに消費してしまった感じがしたのだ。
たとえば終盤までは「静」で貫いて、最後に1〜2発強めのツッコミに切り替えていたら、溜まったものを爆発させられたのかぁ……というところ。
そんな簡単にはいかないのだろうけれど。
僕としては、最も2本目を見たかったコンビ(ニューヨークも2本目勝負だった気がするので、彼らと並んで)だったりする。
あと、序盤にあった「逆に?」という、伊藤さんのさりげないツッコミ。
これぞオズワルドという感じがして、堪らなくよかった。
8.アキナ
ネタのチョイスミス。
これに尽きるかなぁというのが、僕の感想のすべて。
上手いことはもう間違いないので、いいコンディションでハマるネタさえできれば、十分に優勝の可能性はもっているコンビだった。
もともと関西の正統派スタイルというところで、出順も前半がよかったかもしれない。
ある程度色んな変化球パターンを繰り出されたタイミングだったので、どうしても物足りなさを感じてしまった。
しかし、何よりネタ。
テーマ的にM-1の審査員にハマりづらいというのもあるし、「地元の女の子を連れてくる」という設定に無理があった。
この設定をやれるのは30歳前後までではなかろうか。
40歳の山名さんがやったことで、ちょっとした違和感が生まれて、素直に笑えなかった、というお客さん結構多かったんじゃないだろうかと思うのだ。
コントならキャラクターに入り込むけれど、漫才はあくまでも「その人」がしゃべるというのがけっこうキーになる。
ニューヨークは、あの二人があのネタをやるからおもしろいのであって、ぜんぜん違うキャラクターの人がやると違和感が気になって仕方ないだろう。
そういう意味では、ネタ直前に年齢が出たのは少しマイナスに働いたかもな、とも感じている。
準決勝では同じネタで相当ウケていたらしいし、会場とやり方によってはもちろんハマるんだろうけれども、「今の自分たちがやる意味」というのも、漫才においては重要だなと思わせられた。
9.錦鯉
「今の自分たちがやる意味」を100%活かしきったのが錦鯉だったと思う。
M-1決勝史上最年長(50歳近いのにM-1決勝行っちゃった)というフリがすでに効きまくっている中で、おっさん臭いテーマかつ「とことんくだらない」を突き詰めたネタをやることが、それだけですでに面白いのだ。
逆に言うと、「若手漫才師の頂点となる舞台」という背景があるM-1だからこそ、あそこまでのウケが生まれた。
普通のネタ番組で全く同じネタをやったとしても、これほどの笑いは生まれなかっただろう。
これは、彼らの本来の実力じゃないということでは全然なくて、自分たちの強みである「年齢」という武器を最大限に活かした戦い方をしているということだ。
パチンコという、わかる人とわからない人でウケ方が変わってくるテーマだったこともおそらくマイナスに働き(松本さんも言ってたし)、最終決戦進出とはならなかったものの、みんなシンプルに笑えたと思うし、いい塩梅で爪痕を残したんじゃないだろうか。
10.ウエストランド
「自虐ネタは(特にM-1では)ウケない」という、上沼さんの弁に真っ向から立ち向かったウエストランド。
結果的に、熱を帯びてきて自虐の炸裂する後半でガンガンウケていたのでさすがだと思ったが、やはり少々やりすぎだったのか、あるいは前半の単調さが響いたか、得点はいまひとつ伸び悩んだ。
今回のウエストランドに関しては、東京ホテイソンと同様、「こんなコンビ」というのを知ってもらう(フリの)ための時間が足りなかったかな、という印象があった。
なかなか売れず苦労を重ねる中で、ツッコミの井口さんの卑屈キャラがどんどん濃くなってあそこに行き着いた、という背景が浸透していたら、違う結果になっていた気がするのだ。
その点、最初の「不倫とマッチングアプリ」のくだりはちょっともったいなかったな、と個人的には思っている。
ここでもう少し丁寧に、井口さんの卑屈さと、河本さんの「ボケなのにおもしろくない」というキャラクターをわかってもらうためのフリに使っていれば、後半のウケ具合はきっとかなり増していたんじゃないだろうか。
昨年のぺこぱをふと思いだす。
彼らの場合、事前情報や煽りVTRで、「苦労の末あのキャラクターにたどり着いた」ということをなんとなくみんなわかっていたからこそ、「キャラ芸人」のくだりで大きな笑いを生んだ。
まだお客さんや視聴者、審査員にキャラクターを知られていないコンビは特に、自分たちのどの部分をあらかじめ知ってもらえるか、という部分は、結果を大きく左右するなぁと感じさせられる結果だった。
来年、このスタイルをどういじって、どんなネタ選びで戦うのか、注目しておこうと思う。
最終決戦
結局、中盤で立て続けに暫定ボックスに入ったおいでやすこが、マヂカルラブリー、見取り図の3組で戦うことになった最終決戦。
正統派の見取り図vsド変化球のマヂカルラブリー&おいでやすこがという構図であり、後者2組がどう転ぶかわからないスタイルだったこともあり、見取り図有利と見た人は多かったのではないだろうか。
その状況を悟ったかのように、見取り図は「いつもの見取り図」のネタでしっかり笑いをとる。
穿った見方をすれば「置きにいった」と思われかねない戦い方ではあるものの、2組が大ハネしなければ文句なしの優勝を勝ち取っていいクオリティだったと思う。
そんな中、マヂカルラブリーはその「大ハネ」を見事にかっさらった(といっていいのかな?)。
大勝負も大勝負。
絶対に満票はとれないし、賛否両論巻き起こることを本人たちも絶対にわかっているだろうネタ。
「このネタは絶対にやりたかったから、本当は1本目にやるつもりだった」という野田さんの優勝後インタビューからもうかがえるように、非常に挑戦的なコンビである。
「優勝の目があるとしたら、1本目をテーブルマナーのネタにした場合だと思ってた」という狙いをガチッと的中させた村上さんもすごい。
ボケがほぼしゃべらずに動きまくるというマヂカルラブリーに対して、ボケがほぼしゃべらずに歌い続けるというネタをぶつけたおいでやすこが。
(冷静に考えると、とんでもない最終決戦だったな……)
合間にしゃべりを挟む1本目を、さらに極端な方向にもっていく、というのも共通していたが、勢いと流れをものにしたマヂカルラブリーに軍配が上がる結果となった。
ウケ量的には3組ともトントンだったので、審査員としては相当悩んだだろう。
票数3対2対2という、M-1史上初の得票結果にもそれが表れている。
誰に票が入ってもおかしくないという状況になれば、審査員の心理的にはマヂカルラブリー不利、見取り図有利と思っていたので、僕としてはネタを終えて時点で、今回は見取り図かな…という予想だったが、見事に裏切られた。
見取り図は、今回の結果を受けて、きっと何か新しいことをやっていかないとそろそろ厳しくなってくるだろう。
M-1常連になってから毎年少しずつスタイルを変えた和牛がひとつのモデルになりそうだ。
芸歴を重ねて、M-1も3回目ともなると、だんだん上手さが目立つようになって、「安定感」という言葉が定着してくる。
もちろん悪いことではないのだけれど、M-1で「うねり」を起こすためには「うわ、こんなコンビがいるのか、すっげぇ」みたいな、一種の「驚き」みたいなものが必要で、そういう意味では難しいポジションに来てしまった感じがするのだ。
(このポジションにきてなお「うねり」を起こしたのは、2009年の笑い飯であり、昨年のかまいたちだった)
次の1年、また本気でM-1を獲りに行くなら、それはそれは大変な1年になるだろうけれど、ファンとしては楽しみが増えたと言えるかもしれない。
大会を通しての感想
今大会は、「漫才とそうでないネタの線引きは?」という議論に一石を投じると言うか、むしろその論争にひとつの答えを出した大会だったと感じている。
先ほども書いた通り、最終決戦は「正統派の見取り図vsド変化球のマヂカルラブリー&おいでやすこが」という構図で見ることができた。
そして、ウケ量にそれほど差のなかった展開の中で、審査員7人のうち5人が変化球(=100%、後から「あれって漫才なの?」と言われる)コンビに票を入れた。
当然ながら、マヂカルラブリーやおいでやすこが、あるいは昨年のすゑひろがりずなどが勝ち進んでいる時点で、(少なくともM-1においては)あれも漫才だと認められていたということだ。
そして、今回改めて、漫才にはあらゆる形があるのだと受け入れられた象徴的な大会になったと言えるように感じる。
個人的にも、マヂカルラブリーもおいでやすこがも立派な「漫才」だと思っている。
電車で転がりまわっていた野田さんは野田さんだったし、歌い上げたこがさんはこがさんだった。
そして、彼らに対して、観客の声を代弁するという役割を担いながらしっかりツッコむ村上さんと小田さん。
この構図は、間違いなく漫才である。
これを「漫才じゃない」というなら、二人ともが完全にコントに入り込むサンドウィッチマンも漫才でないし、話の流れを気にせずギャグを放り込む流れ星みたいなタイプも漫才でないと言えてしまうだろう。
今回の大会で思ったことをもうひとつだけ。
笑いを掘り下げた先にあるのは「ストーリー」だということだ。
今回、マヂカルラブリーはまさにストーリーで優勝を勝ち取った。
仮に、今回が初出場で、上沼さんとの絡みも過去になく、世間に今ほど知られていなかったとしたら、今回の2本のネタを100%の出来でやったとしても優勝してはいなかっただろう。
3年前に始まったストーリーをみんなが知っていたからあれだけ笑えたし、決勝ラウンドで上沼さんの「94点」が出たときにあれだけの盛り上がりを生んだのだ。
「純粋に漫才のネタで評価されていない! 不公平だ!」ということを言いたいわけではない。
むしろ、だからこそ笑いや感動、エンタメは深いと感じるのだ。
よその家の子が受験に合格したときに「よかったね」としか思わなくても、自分の子どもの合格に感動できるのは、そこまでやってきたストーリーを知っているからに他ならない。
ストーリーを言い換えると、ネタごとのレビューでもちょくちょく出した「フリ」である。
M-1は4分間の勝負に見えて、そうではない。
その人のこれまで築いてきたもの、世間に見せてきたものすべてがフリになって、笑いが成立する。
笑いは、フリとオチ。
これを、改めてここまでしみじみと感じた大会は初めてだった。
きっと、賛否両論を巻き起こすだろう(巻き起こっている?)けれど、エンタメの真髄と、これからの演芸の片鱗が詰まった、良い大会だったと思う。