できない事は、価値になる。
「おまえ秘書なんだから珈琲いれてくれよ」「じゃあ、それができる身体作ってくれよ」「それもそうだな」
20代の頃を共に働き、毎日語り合っていた今は亡き寝たきりの親友とそんな冗談話をし、その冗談を現実にしようと親友の身体としてガレージで人サイズの分身ロボットを開発しはじめた事をきっかけに、寝たきりでも働ける「分身ロボットカフェ」は生まれた。
「あなたは何ができますか?」
我々はいつも問われてきた。
他の人にできることができないとき、
「できることが当たり前だ」「他の人は皆やれている」「君は努力が足りない」「なんでできないんだ」「できなくて可哀そうだ」等
不登校でひきこもりだった頃、病気ですぐに疲れてしまう時、できていた事ができなくなっていく日々の中で自己嫌悪になりながら、謝りながら恥じだと思いながら、できない事をバレないよう隠しながら私達は生きてきた。
だが私は常々思っている。
できない人の気持ちは、できる人には理解できない。
金欠の辛さを、お金があるうちは考えない。
若く健康である事のありがたみを、若いうちは意識しない。
寝たきり状態の辛さは健常者には感じれないし、コミュ障の気持ちは対人が得意な人には解らない。
利き手が動くうちは逆の手で慣れない事をしようとは思わない。
人は自分事で本気で困った時、本気でそれについて考える事ができる。
私は本気で思っている。
できない事には、価値がある
できないからこそ、生み出せるものがある。
2013年に共通の友人と通して出会い、OriHime開発の研究に協力してもらっていたALS患者のヨーコさんはほぼ寝たきり状態で、首から上しか動かなかった。亡くなる半年前、ヨーコさんは言った。
「私がオリィ君たちと一緒にやってるのは自分の為にOriHimeを使いたいからじゃない。この研究が誰かの役にたてるなら、私がALSになった価値になる。だから、一緒にやってる。」
2013年、私達は彼女らと共にALSで眼球しか動かなくとも文字を打てる視線入力+スイッチの意思伝達装置を開発し、2016年に「OriHime eye+switch」を開発した。
国際特許も取得し、製品化した。
やがて多くの当事者や家族の使いたいという声が集まり、厚労省の購入補助制度対応福祉機器となり、必要な患者さんは1割負担で購入できるようになり、数百人の難病患者さんに届けられるようになった。
文字だけでなく、視線でPCを自在に操作できるようにしてほしいという声も貰った。
もともと絵を描く事が大好きだったALSの榊浩行さんは、ALSの進行で右手が動かなくなっても左手に筆を持ち替えて描き続けた。それも動かなくなり、口にペンを咥えて絵を描いた。
いよいよALSが進行してそれもできなくなった頃、OriHime eyeに出会い、眼だけで絵を描く挑戦を始めた。
榊さんと出会う前の開発中、私も視線で絵を描く事に挑戦し、これは難しいと諦めていた。だが榊さんは24時間365日、私のシステムを使い続け、それをできると証明した。
この事を知ったOriHime eyeを使う重度難病の小学生は、視線入力で好きな絵を描いている。たった数年前にはできなかった事が彼にとっては当たり前になった。
合成音声で会話できるようになった頃、私と齢が1つ違いのALS患者である武藤は「気管切開して機械の声で発話するのは嫌だ。自分の大切な一部である声を残したい。一生自分の声を使い続けたい。」と言った。他の人に言うと「贅沢な悩みだ」と言われた。
私と武藤は企業と連携し、クラウドファンディングで開発資金を集め、自分の声を無料で残せて、それをOriHime eyeで使えるようにした。
(無料のアプリで声を残せるので気管切開前でまだ発話できる患者さんはぜひ使ってみてほしい。)
https://twitter.com/origamicat/status/1156413782505054208
武藤は眼と指先しか動かなくなったが、OriHime eye+switchを使い自分の事業を立ち上げ、作詞作曲し、DJイベントをプロデュースしている。自らDJとして演奏し、アパレルも制作、いまも舞台に立ち続けている。
(リンク:WITHALS)
私の8年来の仲間で、車椅子当事者で遠位型ミオパチーの織田さんは車椅子ユーザーだからこそ車椅子の人の気持ちが解ると、早い段階からyoutubeで旅の動画を投稿していた。
しかし自分の力だけでは足りない。車椅子ユーザーの集合知を集めたい、もっと気軽に皆でやりたいと「みんなでつくるバリアフリーマップ」というアイデアを考案した。
2014年、一緒にGoogleインパクトチャレンジに提案して開発資金を獲得し、2年の開発期間を経て「WheeLog!」アプリとしてリリースした。
コンセプトは「自分の行けた!が、誰かの行きたい!に変わる」
5年が経ち、今は10万ダウンロード、全国数万ヵ所のバリアフリー情報があつまる日本最大のバリアフリー情報アプリとなった。
(WheeLog! 無料なのと非常に便利なので車椅子ユーザーの人や、車椅子の友人と行ける飲食店探しなどには是非使ってみてほしい)
健常者にも車椅子ユーザーだからこそわかる視点を味わってみてもらいたいと、普段車椅子に乗っている人が車椅子体験者と一緒に町を走行するワークショップ「WheeLog!街歩き」を企画し、全国数十か所で開催されるようになった。
全国に広がりつつあったWheeLog!街歩きがコロナでリアルイベントできなくなった後、私達はすぐにバーチャル上のスタジオを作り、リアルでは集まらない「全国一斉WheeLog!街歩き」を企画。車椅子当事者でもあるWheeLog!ユーザーのよっしー氏が合成配信技術を習得し、沖縄から北海道までの参加者が同じイベントを楽しめるようになった。
「車椅子だから」「障害者だから」「寝たきりだから」「集まれないから」
諦める理由はいくらでもある。それでも、こうしてみたらどうだろうと諦めない人達が、新しい常識を作ってきた。
休みの日に仲間と遊ぶ中でも、「やってみたい事がある。でも普通にはできない。じゃあどうやったらできるだろう」から始まる自由研究は多い。
手が動かせない車椅子ユーザー達は自分で移動する事ができない。彼らと共に、最後まで動く視線入力で操作できる車椅子を作った。
「なぜオリンピックとパラリンピックが別れているんだろう」「じゃあ車椅子ユーザーと歩行者が本気で戦えるスポーツを考えよう」と、車椅子サバゲーを企画し、本気でルールを作った。
床ずれの辛さ、寝返りをうてず姿勢を変えるために家族を呼ぶ苦しさを知っている当事者達、彼らの移動をサポートしている車椅子工房「輪」さんと、視線で姿勢を自由に変える事ができる椅子を作り、オーダーメイドで提供した。
学校でじゃんけんができなくて悔しいという寝たきりの少女の要望で、スイッチでじゃんけんができる装置が生まれた。
https://twitter.com/origamicat/status/1081860054263853057
「僕焼肉焼いた事ないんだよねー」という乙武さんと焼肉に行ったら、足のスイッチで開閉する電動トング義手ができた。
コロナで集まる事ができなくなった放課後デイサービスの大川さんとは、離れていてもボッチャで遊べる「オンラインボッチャ」システムを開発。
発明家仲間やパラリンピック強化選手も仲間に加わってどんどん改良され、毎週の子ども達の楽しみになり、2022年にはバイオジェン社がスポンサーになり全国の重度障害児童がエントリーする全国大会も開催した。
(活動が大きくなり、一般社団法人になった。)
元不登校のバンドチーム「JERRYBEANS」とは、支援学校で身体が動かない子たちにも音楽を楽しんでもらいたいと、指先だけで演奏に参加できる装置を開発。また遠隔の人も遅延なくセッションに参加できる技術を「スタジオよっしー」が使いこなし、遠隔音楽会を隔週で開催し、発表している。
上記ジャンケンシステムやオンラインボッチャ、楽器などを一緒に作り、自身も重度障害の息子のお父さんであるおぎもとき氏は、私とALS患者さんが作ったシステムを取り入れて独自に改良し、息子の為の車椅子制御装置として実用化させ、息子や家族のためのものづくりを続ける発明家仲間になった。
オリィの自由研究部も一緒に立ち上げ、副部長として一緒に発明活動を続けている。
「SMA(脊髄性筋萎縮症)で寝たきりだけど将来料理できるでしょうか?」という問い合わせがあり、「それに応えられるのは同じ病気である俺らだろ」と、生まれつきSMAで寝たきりのOriHimeパイロットのマサと学生インターンらは、遠隔で卵焼きを焼ける装置を半年で開発した。
この動画のモーションはすべてSMA当事者がプログラミングして動かしている。
友人であり「世界ゆるスポーツ協会」を主宰し、視覚障害をもつ子の父親でもある澤田智洋氏、デザイナーの高橋鴻介氏らとは、視覚障害者と外出困難者が、お互いのできる事で助け合う「Body sharing 」という概念を提唱し、肩乗りの分身ロボット「NIN_NIN」を開発した。
元は視覚障害の人と開発を進めたものだが、観光や通訳、孫と一緒に買い物に行きたい高齢者の方にも喜ばれている。
元バリスタとして珈琲を淹れていたOriHimeパイロットのミカさんとさえさんは、「もう一度お客様に珈琲を楽しんで貰いたい」と提案。
川田テクノロジーズ株式会社の川田社長が賛同してくださり、分身ロボットカフェでは遠隔で珈琲を淹れるテレバリスタが誕生し、来店される方に珈琲の説明を交えたトークの時間を楽しんで貰っている。
私も3年半、不登校でひきこもりだった。
学校に通えない、人の目を見て話せない、日本語がうまく話せない、うまく笑えない、人に合わせる会話ができない、学校のテストの点数は壊滅的、お礼を言うと精神を削ってしまいそうで謝る事しかできない、そんな状態だった。
人に会うと馬鹿にされ、愛想をつかされるので人を遠ざけた結果さらに人と会話できなくなる負の連鎖。この「孤独の悪循環」に陥り、自力で抜け出せなくなった。この辛さから抜け出すため自分が消えるしかないとまで考えた。
様々な出来事や奇跡的な出会いがあり不登校から復帰する事ができたが、私はまたいつか、ベッドで何もできず天井を眺め続け、居なくなる事を誰かに望まれているかもしれないと考えてしまう日がまたくるかもしれない。あの孤独を死ぬ事よりも恐れている。
しかし恐れている私だからこそ、できる事があると思っている。
2009年、私が当時欲しかったものを作ろうと決意して自分の研究室を立ち上げ発表したものが、当時まったく理解してもらえなかった”分身ロボット”だった。
寝たきりの秘書であり親友として一緒に働いた番田雄太との出会いによってその研究は加速し、OriHimeは今の形になった。
「このままでは無駄に死んでしまう。こんな身体だからこそ、なにか生きた証を残したい」と番田は言った。
その番田と構想した分身ロボットカフェ常設実験店では、数十人のOriHimeパイロット達と仕事をしながら様々な研究、挑戦をしている。
分身ロボットカフェでは、お客さんから「寝たきりの人は働けないと思っていたのに、すごく気持ちよい接客していただけますね!」と言ってもらえる。
「OriHimeも導入したいけど、このパイロットの人に仕事をお願いしたい」と、その接客能力や意欲が評価され、一般企業からスカウトされるパイロットも現れた。
2023年1月、パイロットや関わるスタッフ達により、カフェ以外にも重度障害をもつ仲間の就労先を増やしたいと、同じ移動困難者に特化した人材紹介サービス「FLEMEE」が立ち上がった。
テスト期間を経てオリィ研究所の新サービスとして正式リリース、すでに大企業数社への紹介で実績をつくり、進める事ができている。
寝たきりの先に憧れはつくれる。
私は寝たきりの人達を、患者ではなく、寝たきりの先輩と呼んでいる。
目立った病気がなくとも、人は誰しも老いという進行性の難病患者だ。
高齢や障害などで寝たきりになったら終わりではなく、もし「寝たきりになったら彼らのように生きたい」と、そう思える憧れの先輩がいてくれることはどんなに安心できる事か。
人間は生身ではか弱な生き物だ。
他の動物のような力も速さも耐久力ない。だから道具を作り、文明を作り、できない事をできる事に変えてきた。
できないからこそ、本当に必要なものを考える事ができる。
できない事は価値になる。
それに必要なのは諦めない事だ。できない事を理由に終わらせない事。
諦め慣れているなら「そういうもんだ」と諦めてしまっている自分に気づく事だ。
そして間違っても気合と根性と努力と我慢で、他の人と同じように頑張らなくてはいけないと思わない事だ。
人は違う。できないものはできない。しかしそれはその同じ方法ができないだけだ。私達はできない事が皆違う。他の人と同じ方法に限らなければ、試せる事はまだまだある。
人はできない事の方が多い。
できない者同士、知恵を出し続けて諦めずに生きて、同じ苦しみをもつ次世代へバトンを残そう。
いつの時代も文明を作ってきたのは、元々できなかった者達なのだ。
2023
吉藤オリィ
追伸:
【オリィの自由研究部(β)】
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