寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察
生前、よく自宅からリモートで働いていた番田雄太と「一緒に働くってどういう事?」「所属してるって何?」「自分を好きになれって言われても・・・」というような話を、それはもう頻繁にしていた。
いかに人は絶望状態から希望を得て、自分を信じる状態へ至るのか。私と番田の経験に則り、5段階仮説としてまとめてみる事にした。
番田はよく「孤独」を私に訴えた。
番田雄太とは、2013年12月から2017年9年に彼が亡くなるまで、ほぼ毎日共に活動した、私の1歳年下の親友、相棒だ。
私は2009年に分身ロボットOriHimeを開発するにあたり、初めは自分の3年半の不登校経験から、入院している人が学校や家族のもとに「一緒にいる」という状況を目指したのだったが、それだけでは足りないというのが番田からの指摘だった。
今のOriHimeに腕があるのは彼の功績だ。
4歳の交通事故で頸髄損傷になり、首から下の自由を感覚ごと奪われ、呼吸器を付けて20年間ほぼ病院で寝たきり生活を送った。学校にも通えず、あまり気の合う友人もなく、ストレッチャー(ベッド型の車椅子)やOriHimeがあったとしてもどこにも所属していない番田に「帰りたい先」「一緒に居たいと思える人・場所」は無かったのだった。
番田が「孤独を感じる」などを口にするたび、私は番田のいう「孤独」はどうすれば解決されるのか、彼とじっくりと対話する事にした。孤独を訴える番田は大抵感情的になっていたが、「この孤独を解決する方法を私は解決したいと思っている。協力してくれないか」とお願いすると、彼は自分を客観視し感情的になっている自分の分析を行う事ができる能力をもっていた。
2013年冬、
番田と初めて出会った。当時、私は夢AWARDというコンテストでプレゼンの準備をしていたのだが、そのエントリーシートをネット上で見つけた番田から、「力を合わせたい」と、Facebookから長文のメッセージが届いた。
後でわかった事だが、彼は置かれている状況をなんとか変えようと、数年間、顎を使って6000人に同様のメールを送り続けていたそうだ。
2014年春、
私が初めて番田の家を訪問し、「孤独の解消」というテーマで意気投合した。
それから、OriHimeで番田に私の横に居てもらう事から始めた。だが、私も番田もお互いに雑談は得意な方ではなく、すぐに会話は途切れた。
また、私が忙しい時に番田がOriHimeで横に座っているだけの状況はお互いに気まずかった。
そこで、私は番田に講演に参加してもらう事にした。私の講演会に彼もOriHimeで出席し、OriHimeのプレゼンを行うと同時に番田が過ごした「寝たきりの20年」の話をしてもらった。
はじめ、番田は「寝たきりの20年の話なんか誰が聞きたいの?」という反応だったが、「それを伝えることは亡くなっていった番田の友人達の気持ちを多くの人に伝える事になる」と言うと、「わかった」と言い、慣れないスピーチをするようになった。講演会の日、番田がかすれた声でたどたどしくスピーチを行ったのち、会場から拍手が溢れ、講演会のあと番田に話しかけてくれる人が何人かいた。
「自分の体験談のスピーチは誰かに喜んでもらえる」と気付いた番田は、それから何度も私と講演会をする事になった。
そのうち、講演会の依頼メールや、講演料の交渉、スケジュール調整を私に代わりやるようになった番田は、私にとっての初めての「秘書」となった。
2015年夏。
それまで1年間は私がポケットマネーで謝金を払っていたが、正式にオリィ研究所の契約社員となり、一員となった。
彼が東京に遊びにきたタイミングで盛大にパーティーを行い、サプライズで社員契約書を持っていき、読み上げた。
番田はものすごく喜んでくれた。
だが、実際そこからも結構大変だった。
オリィ研究所の一員となった番田だったが、「オリィ研究所の一員である」という「帰属意識」があまり無かったのだ。
ある日、講演会の直前に(初めのころ、番田が悩みを打ち明けるのは大抵重要なプレゼンや講演会の直前だったので毎回結構焦っていた)
「あんまり一員である感覚がしないんだよね・・・」
というメッセージが送られてきた。
たしかに、肩書や名刺はあって、契約書はあって、間違いなく「オリィ研究所 秘書 」なのだが、実際にオリィ研究所から送られてくる指示は事務的なメールだけで、それを淡々とこなすだけなのだ。当時は仕事がない日も多くあり、そのたびに番田は「何か仕事ないの?」と言うので、「彼の為の仕事を造り出す仕事」という、ある意味二度手間な労力が必要になった。
また、「オリィみたいに会社をつくる!」「プログラミングをする!」と言って色々やってみるのは良かったが、うまく行かず、そのたびに「俺なんかが出来るはずなかったんだ・・・」とネガティブになって仕事を休み、立ち直るのに時間を要した。
2015年秋にオフィスを引っ越す時、
「オリィ研究所が大きくなっても、それはオリィ達は嬉しいかもしれないけど、私はあんまり嬉しさを感じないんだよね・・・」
とFacebookメッセージが届き、これはまずいなと思った。
「本人に自覚がない」と書くとまるで本人の責任のようだが、入社などコミュニティへの入会を認めた以上、ちゃんと自覚できるようにするのは環境を整える側にも責任がある。
そんなときはいつも番田と語り合うようにしていた。この場合は、どうすれば「人の帰属意識は生まれうるのか」というテーマで。
(感情的になったとき、その相手に「なぜ人は感情的になるのか」とか聞く事は普通あまりお勧めしない。まずは共感してじっくりと聞き手になった方がいいのだと私が学習するのはもう少し後になってからであるが、番田は怒らずそうした議論に前向きに参加してくれるのはありがたかった。)
そして、新オフィスに移ると同時に始めたのが、OriHimeによる出来る限り毎日の出社、そして社内コミュニケーションだ。
私も創業メンバーらも、当時は「会社は仕事をする所。プライベートは持ち込まない」という傾向が強かった。社内ではあまり会話もなく、「職場なのだから集中して仕事するのがあたりまえ」だった。
そこに番田がOriHimeで参加したところでコミュニケーションは最低限になる。「遊び仲間」が職場以外にいる我々と違い、番田はオリィ研究所しか所属コミュニティが無く、雑談を許される場所も無いのだ。
まず行ったのは「自分がやった仕事を報告しよう。そして、それを皆で褒めよう」という極めて基本的な事だ。
これまでメールでやっていた報告を、オフィス内で「〇〇の件、完了しました!」「〇〇の件、契約取れました!」などとわざとらしくても報告するようにし、それに対して「おつかれ!」「すばらしい!いいねえ!」など、褒める文化を作った。更に面倒かもしれないがやってみようと所謂「朝礼」の文化も作り、朝9時に全員で談話するようにした。(1年くらいやってみて、やっぱり朝礼や強制的なランチMTGは面倒だったので止めたが)
些細なコミュニケーションだが、これにより番田は「自分がやっている簡単な入力作業や資料纏めがちゃんと意味のある事なんだな」と実感するようになった。
また、OriHimeで番田も「拍手」するようになり、「おはよう」「おつかれー」などの挨拶も毎日するようになった。
また、OriHimeで一緒に会議にも出席してもらって議事録をとってもらったり、「やれる事」を少しずつ増やしていった。
本人は自覚は無かったみたいだが、積極的に発言もするようになり、こんな事をしてみたい!というセリフも増えた。
引きこもっていたり、迷っている子に「何がしたいん?将来どうするんだ?もっとはきはきしゃべりなさい!」等という大人もいるが、ネガティブな状態の人にそれを言っても状況は改善などしない。人は少しずつ「できる事」が増えてくる事で自分の意志をしっかりともち、伝える事ができるようになるものなのだ。
性格やリーダーシップは生まれ持ったものではない。私も元不登校で19歳まで人と話すのは苦手なタイプだった。「環境が人を作る」という言葉があるが、それはコミュニティの中で段階を登っていく事で学び、気付き、役割と共に変わっていき、芽生えてくるものだ。
はじめ、私は番田に「社員」という肩書を与える事で、仲間になった気がしていた。だが、それはこちら側の思い違いだった。いくら「君は仲間だよ。僕らは君が居てくれるだけで嬉しいんだよ」と言ったところで、本人が「俺、別に要らないよな・・・」と思っていたなら、それは対等な仲間ではないのである。
OriHimeが目指したのは情報の伝達ツールではなく、存在の伝達ツールだ。番田と共に、番田が最も働きやすいようにOriHimeを開発し、”一緒にいるという状況、一緒に何かをするという状態”を作った事で「自分がチームで役に立ってる。役割がある」という感覚をもてるようになり、帰属意識をもつ事ができるようになった。
更にできる事を増やし、仕事を頼まれるようになる事でそれまで多かった「俺、足引っ張ってるよな・・・」といったネガティブな発言は少なくなり、仲間意識が芽生え、勉強意欲が高まり、次第にポジティブな発言が多くなっていった。
この頃から、番田はオリィ研究所の業務の一旦を担い、チームにとっても必要不可欠な存在になっていった。
私と番田がタッグを組んだ講演の評判も高まり、活動の中で知り合った武中ナミさん、村木厚子さんに招待され、各省事務次官のユニバーサルデザインの勉強会にも講師として呼ばれるようになった。
2015年、事務次官勉強会で講師として生身で招かれた番田
・明治大学国際日本学部、岸先生のはからいで、自分のゼミに番田をOriHimeで毎週招待し、学生らとダイバーシティ社会を学ぶ「番田部」なる活動を行い、番田はテレビやネットでしか知らなかった”学校生活”に通うようになった。
・フランスやエジプトに旅行に行く友人と共に、番田もOriHimeで海外旅行をするようになった。エジプトでは現地で講演も行った。
・大学主催のコンテストに招かれ、OriHimeを使った利用シーンコンテストの審査員に番田が抜擢された。
・何度もテレビやラジオに出演し、コメンテーターとしてOriHimeでスタジオから発言した。
・OriHimeで東京都特別支援学校の「外部専門員」に就任し、生徒たちと交流や講演を行った。OriHimeで公的な機関から仕事を受けたのはこれが初。
・稼いだお金で母親に服を買ったり、私と直接会うときは寿司をご馳走してくれた。
・諦めず、ポジティブな番田の周りには多くの人が集まるようになり、盛岡の家にも日本中から訪問者が来るようになった。
2016年夏。
やがて番田は、「将来は自分で会社をつくる!」と言い出した。
ビジネスモデルの本を読むようになり、ビジネスコンテストに応募するまでになった。ビジネスコンテストの第一次審査は通過し、二次審査の前のブラッシュアップミーティングではうちのインターンの学生がOriHimeを抱えてワークショップに参加し、そこでも何人もの友人を作った。
残念ながら2次審査は通過できなかったが、番田は挫けず、すぐに前を向いて次回こそはと諦めなかった。
私が思うに、「挑戦」はあらゆるシーンで必要だが、大いなる挑戦は、自己肯定感をしっかりと構築してから挑んだ方がよい。「自己肯定」は自分の足場であり、これがグラついている時に「ヘタな挑戦」をすると、失敗したときのダメージで精神的に崩れてしまう事がある。
2016年冬には、番田は私抜きで自分だけで講演依頼を受けるようになり、活動の幅を広げた。また、OriHimeを盛岡で普及させるべく、チームを作り、更に自分で動画を作り、発信も行うようになった。まだまだミスも多く、怒られながらだったが、着実少しずつ出来る事を増やしていた。
動き回るOriHimeを作って、一緒に将来は”分身ロボットカフェ”をやろうという構想も語り合い、開発に着手していた2017年春、彼の容体が悪化した。
番田が操作するOriHimeの動きもいつもと違う事に気付いたし、彼のTwitterの更新頻度も落ちていた。番田のお母さん曰く、徐々に目もぼやけて見えなくなっていたが、それでも私には内緒で勉強や仕事を頑張っていたらしい。
2017年5月、私が会いに行った時、番田はICU症候群になり、時間や場所も解らないほど意識も朦朧とする中で「会社の人はどれくらい?」「オリィは大丈夫か?」と、チームや私の事を心配する番田がいた
(動画15:00~ 番田雄太の会話より)
2017年9月、私が会いに行った彼は24年ぶりに呼吸器を外して棺の中で眠っていた。享年28歳。
番田は初めて会った時、「明日1日でも長く生きるために今日なにもするなと言われ続けた20年だった。私は明日死んでもいいから、今日を自分らしく自分の人生を生きたい。」と言っていた。
番田の両親からは、オリィさんのおかげで最後の3年間は社会で働けたと言ってもらえたが、自信を得た番田の人生がまさにこれからという矢先での急逝、弔辞を読みながら悔しさで震えが止まらなかった。
この自信5段階説は、元不登校だった私と、寝たきりだった番田が実践した、絶望からの復帰と、自信を得るに至る段階を図にしたものだ。
もしかすると初めから仲間が簡単に作れて、居場所がない経験がない人には当たり前で不要なものかもしれないが、自己肯定感が低いと思う人達の役に立てるなら、番田が生きた事、挑戦が価値になる。
自分の気の合う人とうまく出会い、よい組織に属し、そこで必要とされて居場所を感じ、更にコミュニティを作る側へと進む事で、自分を肯定できるようになり、社会に対して自信を得られるようになる。
背伸びして大きな挑戦をする必要はなく、重要な事は一段一段登っていく事だ。
できるならその手助けをするツールを遺したい。分身ロボットOriHimeがまさにその一つで、番田と語っていた「分身ロボットカフェ」構想などは、その未来を創るための計画だ。
いつか常設店を作り、そこで私や番田と同じ、心身が弱っている人達にとってのステップアップの仕組みにしたいと思っている。
私達の研究の目的は「孤独」という問題の解消である。
たとえ寝たきりでも胸を張れる世界へ
これからも我々は歩み続ける
吉藤オリィ
追記:
番田雄太と実現させてきた事と、目指し続ける未来
オリィ部:
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