今は亡き寝たきりの親友と語り合い、実現させてきた現実と目指し続ける未来
私には番田雄太という寝たきりの親友がいた。
人生で最も影響を受けた3人を挙げろと言われれば彼は入るだろうし、最も影響を与えた3人を挙げろと言われれば彼が入るだろう。
4歳の時に交通事故による頸髄損傷となり、首から下を動かす事ができず学校にもほとんど通う事ができなかった番田が、2013年の冬に顎を使ってPCを操作し、OriHimeの研究をしている私に1通のメッセージを送ってきたのが出会いだった。
この文章を全て顎を使って入力していた事を当時の私は信じられなかったが、それまで6000人にメールを送り続けていた事を後で聞く事になった。
2014年、盛岡の自宅へ会いに行き、その場で意気投合した。その後、私の私的な秘書を経て、秘書兼広報担当としてオリィ研究所のメンバーとなり、当時開発中だったOriHimeのユーザーとして改善点を提案すると共に、講演活動で全国を一緒に周る相棒になった。
2017年に亡くなってしまうまで3年間、一緒に働き、チャットだけでも数万チャットし、全国を講演して周り、「孤独」と「寝たきりの先」と「生きるとは何か」を語り合った。
「私の寝たきりの20年間は、明日少しでも長く生きるために今日何もするなと言われた、”生かされた”20年だった。同じ病室の隣のベッドで、お互いの声も届かず、亡くなっていく子ども達をただ見送り続けてきた。彼らは、私は一体何のために生かされたのだろう。私は明日死んでもいいから、今日、自分の好きな事をして”生きたい”。」(番田)
私がいま行っている分身ロボットカフェの構想や、重度肢体不自由であってもできる事を増やせる発明や活動は彼の諦めなかった願いや、対話の中から生まれたものが根幹になっている。
私や番田が夢見た事、
番田のようなベッドやストレッチャーで寝たきりの子ども達が、
自分で移動できて、
PCも操作できて絵を描いたりもできて、
OriHimeで普通の学校生活にも参加できて、
全国の友達と一緒にチームを組んで遊べて、
自分の身の回りのものにも干渉できて、
自分で好きに姿勢を変えれて、
簡単に行けないところにも友達と旅行して、
記念日も一緒に過ごせて
友達を増やして実際に行きたくなって、
自分の行ったが誰かの行きたいに変わって、
日本中どこからでもカフェで働き、接客トレーニングもできて、
企業から声をかけてもらって就職できて、
お金稼いで納税して家族や友人にプレゼント贈って、
そんな姿にあこがれる人達も出てきて、
障害や年齢関係なく、誰しもいつか寝たきりになる後輩たちのよき先輩となって、その人の悩みごと、生き方を支援する。
私はそんな未来を信じているし、まだまだ足りない要素は多いけど力を合わせれば本気で作れると思っている。
私や番田、多くの仲間らが生きて挑戦した証が同情や悲しい話ではなく、次の世代へのバトンとして遺せるのなら、私達は胸を張って「生きて良かった」と言えるのではないだろうか。
「孤独が解消される世界」と「心が自由ならどこへでも行けて、なんでもできる世界」へ、挑戦と研究はこれからも続けていく
2020.9.7
吉藤オリィ
追伸:
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