ASDの常識のずれに関して
ASDの場合、根本から常識がずれている感じがあるんですよね。ただそれを正すのはとても難しいのです。なぜなら規範となる健常者の常識というものが提示されてないから。モデルケースとなるひな形がないも同然なのです。もしかすると、一部のASDは気づいているのかもしれませんが、現時点では私は知りません。
別の立ち位置からの理屈
社会で働いてみて、どうも私達ASDの理屈というのは健常者の理屈と大幅に違っていて、別の側面からの理屈として筋は通っているのですが、それがなぜか屁理屈だと思われるような性格がありました。ここらへんはやはり脳の構造が違うから、順序だてて思考する時にパーツとなるものを独特の視点でかき集めてくるせいだと思います。前に働いていた場所で、明治時代の農村を再現するというテーマだったのですが、同僚の男性は縁側に寝そべってしまって周囲の人が注意すると「休息している農民を再現したんだ」と言われました。ありといえば確かにありなんですが、そんな姿を見せてはいけないと普通なら思うわけです。その男性がASDかどうかはわからないのですが、なにかずれているんですよね。
行動はほぼ反射
会話をしてると、発言のミスが多すぎて日々困っているのですが。私の発言はほぼ反射でやっているんですね。熟考して反応してるのではなく、反射神経的に言葉を出している。すべてのASDがそうなのかというかはわかりませんが。少なくとも私はそうです。外界からの刺激で反射的に一番ベストだと思える対応をするという認識があります。つまり、考え方の癖だと思うんですよね。だとすれば、余計厄介なことです。まず正解がわからないから矯正ができない。対処法としては自分の反応はすべて間違いだと思ってストッパーをかけます。ただそれだと正しい対応ができないので詰みます。
見えぬ物へ擬態するしんどさ
健常者しぐさとでも呼ぶんでしょうか。一応、普通の人がしそうな対応を事前にインプットして健常者に擬態できる人がいます。私はとてもそんな芸当はできません。ただこれはイレギュラーな出来事が起きたときは難しいと思います。前にも述べた通りASDの反応は脳の癖であり、健常者とは全く別の回路を通します。止めてから考えることは可能ですがタイムラグが発生して業務にとどこおりが生じます。ましてやそういう時は周囲も急いでいるものです。急かされたりすることで、ASDには圧になります。
健常者の模倣は無理
ここ数年、発達障害者の間では自助努力による障害の克服が叫ばれています。確かにADHDの間では薬がありマニュアルも出版されています。残念なことにASDはほとんどありません。努力というか気合や根性でメルトダウンを抑えるか、行動を機敏にするぐらいしかありません。それでも100%健常者になれるかというと無理だと思われます。もともと、考え方のクセだと言われていますが、ASDにとっては当たり前のことです。ですが、健常者が多数派である現代社会では異端です。ではどうするか。将来的に医学の進歩を待つしかありません。
異文化としてのASD
相手が外国人であれば、多少常識が違っていても許せるんですね。返事の仕方や首の振り方ジェスチャーなどが本来の動きから外れていても容認することは可能です。ではなぜASDの反応は奇異になってしまうのか。やはり日本人が同じ黄色人種との文化的差異にあまり触れてこなかったせいだと思われます。異質な部分をどれだけ受け入れられるかは今後の課題だと思うのですね。
ASDは一人一人が違う
残念ながらASDの特徴の現れ方は同色ではありません、一人一人出方は違い対処法も違ってきます。だから一人一人個別に対応しなければいけないんですよね。そこにこの障害の難しさがあります。どうしても普通ではないことで相手を不快にさせてしまう部分が出てきますが、この差異をどのように解消していくかが今後の課題です。双方ともに忍耐が必要な時間が今後も続いていくと思われます。