もう既に誰も住んでいない母親の実家。 ここの家には石垣がある。 祖父が自ら築きあげたのだろうか、昔からあったそうな。 ここ家は少し高台に建っているが、なんでも台風の影響がすごいらしく、石垣まで波が上がってくる事があったと聞いた。 今は防波堤もできているので、それほど波が上がってくるということは無いみたい。 縁側でぼーっと波の音、海の反射を見ながら麦茶を飲んでスイカを食べたい。 そんな気分。
母方の実家の横に井戸がある。 小学生低学年頃の記憶でしかないが、ここでスイカを浮かべて冷やしていたのを覚えている。 水温は夏は冷たく、冬暖かいらしい。 自然の湧き水なので当然か。 今私は関西に住んでいる。 生まれも育ちも関西なので、小学生6年生の頃、阪神淡路大震災も経験した。 水も断水して困った記憶がある。 母も田舎の井戸があればーと当時語っていた様に思う。 無限に湧く水源...ではないだろうけど、便利な物なんだろうと思う。 今は使用していないはずなので、再度使用する
母親の故郷には、一軒の商店があったらしい。 母親曰く「部落店」と言うらしい。 あったらしいというのも、記憶を辿ってみたが、どうにも自分はその商店に行った記憶が無い。 googleストリートビューで確認してみると、2013年の段階ですでに閉店している様だった。 食料品やお菓子、日用品なんかを取り扱うお店だったらしい。 集落に住む人の生命線だったのか? この写真の自販機も今はもう無いのだろう。 クロネコヤマトの取り扱いの登りが立っていたので、2005年の段階では誰かしら、何
津久見の海は本当に綺麗。 透き通り具合がすごい。 毎年海亀が上がって卵を産みに来るのも納得するほど。 今でも綺麗なのか? 少し前に大きな台風で被害があったみたいだけど、海岸はどうも無かったんだろか。 海といえば小学生の低学年の時、海水浴で溺れた事をちょくちょく思い出す。 親戚のお兄ちゃんに助けてもらったから良かったものの、もう少しで危ないところだった。 お婆ちゃんのお葬式の時だったかな。 今なら溺れず泳げるだろうか? どうにもあの時から泳ぐ事に抵抗がある。 次海で泳ぐ
漁師町では当たり前(?)なのかもしれないけど、道端にひじきを干してある。 一年分の保存食としてか、都会で暮らす子供達への仕送りか。 はたまた売り物にするのか。 津久見の5月ごろ、海岸沿いではしばしば見られる光景。 誰のものかもわからない(集落の人はわかってる?)のがなんとも平和を感じる。 味はもちろん抜群で、柔らかくて美味しいひじき。 Youtube等で津久見の情報をみていると、「ひじきごはん」として販売してるようだ。 久しぶりにひじきの煮物が食べたくなった。
慣れないですが不定期な日記をnoteで始めてみようかな。 続くかわかりませんが、自分の備忘録にでもなれば。 母方の故郷、大分県津久見市に最後に帰ったのは2005年の5月。 兄夫婦とおチビ3人、母親と叔父で帰ってお墓参りやら魚釣りやら。 下の畑で採れたトウ豆(そら豆)を母親が天ぷらにしてくれて、おにぎりと食べた思い出。 空気が美味しくて何を食べてもご馳走に感じたなぁ。 コロナが無ければ2020年に帰れたのに。2021年は帰れるんだろうか。 期待と不安で状況を見守る