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安楽死の是非を問う

おはようございます。こんにちはこんばんは。

せつなです。



きっかけは以下のネット記事です。

安楽死に関する話。

前提として、日本では積極的な安楽死は禁止されていますが、法的に容認されている国が存在します。

安楽死に関しては様々な問題が絡み合っており、今回はそのひとつについて記します。

今回のテーマは、本人の意志とはなにか? です。


※認知症について
認知症には軽症から重症まで、また現れる症状も認知症の病型によってさまざまです。認知症であることを安楽死と結びつけているわけでもなく、安楽死や自殺を示唆するものではないことを理解ください。


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①エピソード

上記の記事のなかであるエピソードがでてきます。

あるオランダ人女性が、「老人ホームに入るほどの認知症になったときには安楽死を希望する」という事前指示書を残している状態で、認知症になってしまった。
指示書に従い、安楽死を行う際に抵抗したがそのまま安楽死のための薬物を投与された。医師は罪に問われそうになるが、オランダの安楽死の要件を満たしていたため無罪となった。


安楽死を容認している国では、認知症になることを恐れてそのときには安楽死をさせてほしいと願う人がいます。

医師は事前の意思を明確に示しており、それに従い安楽死を遂行したにもかかわらず、罪に問われそうになった。


ここでの問題は、本人の意志とはどこにあるか?ということです。


②本人に確認すればいい


と思われるかもしれませんが、認知機能が低下した状態ではその意志が本人のものして扱うことができないこともあります。

実際の医療の現場でも、認知症の方の手術はじめ医療行為を行う際には、本人だけでなく家族様にも一緒に説明し同席者として署名をいただきます。

家族同席での説明ができなければ基本的に侵襲的な医療行為はいたしません。


認知症が進行すると、自分の意志を示すことができなくなるのです。

その状態を見越して、今回の女性は事前指示書というものを準備して、有事の際には安楽死を希望するという意思を示しているわけです。

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③事前指示書に書いてあるのが本人の意志


とも思われるかもしれません。

しかし、いざ死に直面したときに

やっぱり死にたくない!もっと生きたい!

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と思いなすことがないといえるでしょうか?

むしろ、生きている間に死を意識しながら生きている人のほうが少ないと思います。

自分が以前示した意思であるとはいえ、いざ死を目の前にしたときに拒否してしまうのは動物としても自然な感情でしょう。


事前指示書のみを信じて安楽死を遂行してしまうと、死を前にして変わった意思を尊重することができないことになります。

認知症の人が変えた意思だからとそれを無視することはあまりに横暴であると考えます。

認知症というものは文頭に書いたように、症状の種類も重さも、進行する速度も人によって異なるからです。



④まとめ

この問題は、あまりにCase by Caseであり、グレーゾーンも広く、一概に文書や制度で決められることのできない難しい問題です。

答えというものは誰も持っていないことでしょう。

なので私にできることは今回のように問題提起をすることくらいです。


簡潔に私の意見を述べさせていただくと

強い苦痛を取り除くことができずに、本人も家族も死を望んでいるのを無理やり生きながらえさせることは肯定できない。
しかし、自殺率が高いこの国で積極的安楽死を認めるのは、望まない死を作り出すことにつながり容認できない。


といったところでしょうか。

いやー難しい問題だ。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

気になった、おもしろかった、安楽死なんて私は絶対に反対!なんてご意見おもちの方おられましたら、スキ、コメントをお気軽にお願いします。

ではでは、皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。



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