長岡花火大会がスゴ過ぎた件。人生で行かないとマジで損!
長岡花火大会に一人で参加してきました。
花火大会自体、実に7年ぶりの参加でした。
地元の花火大会すらまともに行ったことすらありませんでしたが、30代で人生を変えるため、新たな気付きを得るため、あえて参加してみた長岡花火大会。
実際に行ってみて、「楽しかった」「感動した」というか、人生に対する想いが変わるぐらいの、とてつもない衝撃や刺激を覚えました。
あのクオリティの高さと感動と美しさと迫力と壮大さは、人生で一度は体験してみるべきですね。
さすが「日本一の花火大会」と言われるだけのことはあります。
空に打ち上がった花火が、夜空いっぱいに広がる..だけではなく、地上に降り注ぐような感覚。天空いっぱいに雄大に・壮大に広がった花火が、逆にコチラに向かって舞い落ちてくるような臨場感。
何かに似てるな?と思ったら流星群です。
天と地の境が無くなるような、天と地がひっくり返ったような、不思議な感覚になりました。
まるで、自分が空に浮かんでいるかのような?空を見上げているはずなのに、空にいるような?あれ?ここって地上だよね?空にいるわけじゃないよね?
みたいな、不思議な錯覚に包まれました。
現地に行ったからこそ分かる、会場の雰囲気や音楽、人々の歓声やどよめき、光や花火の演出を全身で感じることができました。
その辺の普通の花火大会に参加したことがないからこそ、「日本一の花火大会」である長岡花火大会に参加したこの経験は、一生忘れることのない「かけがえのない財産」になるでしょう。
「行ってよかったです」「楽しかったです」どころの騒ぎではないぐらいの、とてつもない衝撃と感動を味わいました。
長岡市 山本五十六記念館に行ってた
長岡花火大会前に、山本五十六記念館に行ってきました。
恥ずかしながら「第二次世界大戦の何かの人?」みたいな、何となくの知識がなく、山本五十六が「長岡市出身」ということも知りませんでした。
長岡駅の観光案内マップに「山本五十六記念館」なるものがあったので、興味があったので行ってみました。
Chat GPTに聞きながら、山本五十六について勉強してました。
山本五十六は、真珠湾への奇襲攻撃を決定し、その指揮を取った人物。
山本五十六による真珠湾攻撃により、アメリカは第二次世界大戦へ参戦を決定付けた、とのこと。その最期は、アメリカ軍の空撃を食らっての戦死。
真珠湾への攻撃を決定をするって、そこにはどれほどの想いや葛藤があったのだろう?偉大な人物が長岡市に居たんだなと、また新たな学びと気付きを得られました。
長岡花火大会の歴史を調べ始める
長岡花火大会の起源や歴史が気になったので調べてみたところ、昭和20年8月1日に起きた長岡空襲からの、「慰霊」、「復興」、「平和への祈り」や哀悼を込めて、1946年に初めて花火大会が開催されたとのこと。戦死した山本五十六への哀悼の意も込められている花火大会でもある。
第二次世界大戦から100年も経っていません。
しかしここ10年足らずで、これだけネットやスマホが普及し、誰とでも・いつでも・どこでも繋がれるこの現代社会。こ
少なくとも、空襲に遭ったり戦争に駆り出される心配がない、道を歩いていて誰かに殺される心配がない、お腹が空いたらいつでもお腹を満たせる「とてつもなく豊かな現代の日本」に生まれた時点で、自分らは幸運なんだなと思いました。
ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻だって、未だに続いてるわけで。
「もし日本に生まれてなかったら?ロシアやウクライナに生まれていたら?戦争で死んでた?」と思うと、ゾッとしますね。
って、長岡花火大会に行ってみて、また新たな学びと気づきを得られました!
花火大会のお客さんも、みんな係員に従順だし。
「プレートを首から下げて、何色の何番ゲートから入って、「A-○○」のこのエリアにちゃんと座ってくださいね~!」って係員に言われると、みんなちゃんとマナー守るし。帰りの新幹線の行列にも、みんなちゃんと並ぶし。
平和な国だなって思いました!
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