5月2日(日)
晴れている近所を歩く。日向が楽しい。無理して楽しくなくなることはないと思うのだが、みんな散歩は必ず人か犬を連れている。あるいは目的を時間の先に用意してそれは道の先でもあって、そこへ向かって歩いている。
きつい時はきついなりの仕草があり散歩はそこに含まれないのか。含まれない。けれどそれは散歩が悪いんじゃない。私が悪いんでもない。何が悪いかは解らないが何かを悪くすればいいとは思う。それで気が晴れるなら。
百文字で段落を切ってそれを十個。これが今日の日記の条件である。実は、もうこんなことをしなければ日常を日常として認識するのが辛くてできない。日常は瞬間的ではない。無職は瞬間的である。瞬間ごとに同じ辛さ。
私は凡庸だから瞬間ごとに物事を考えたことがなかった。かならず因果関係のなかにいると思ってた。未来と過去で今があると思ってたらそう思えば思うほど自分は死ななきゃいけなくなることに気づいた。だからやめた。
読点は文字数勿体なくて書くの無理だな。昔は読点が嫌いだった。神経質だった。今は句点の方が嫌いだ。でも書きやすいのは目的としての句点を軸にしたもの。人間らしい息づかいを無視したもの。人間らしくはないか。
てか文字数なんて自分で決めたんだろ。いや確かにそうなんだけど全部が全部自分の意志ってわけでもないよ。ただこうじゃないと精神がダメだからやってるんだよって言ってもわからない奴マジでなんなの?死ねバーカ。
『闇の自己啓発』読了。次は柄谷行人『意味という病』講談社文芸文庫。余った分は読点に使おう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
散歩はとても楽しい。とくにGWはすげえ楽しい。金持ちはみんな遠くに言っていて、ここらへんの公園にいる奴らは逆にリアルだ。そういえば私もGWにどっか行ったことってないな……旅行はそこそこしてるんだけど。
最近は近所のTSUTAYAに置いてある『死ぬまでに観たい映画1001本』をベンチに座って一日に十年分読んでマジで死ぬまでに観たいな~と思った作品を年代順にスマホのメモ帳にリストアップしている。楽しい。
映画リストアップは散歩の終わりに陽が沈んでからやる。映画史をまったく知らないコンプレックスである。無職のコンプレックスから目を反らすためにとっきやすく本当に興味のあるジャンルの計画を練る。練るだけだ。
1000文字超えたのでもうこれで終わり。だけど日記は良い。散歩は空間の日記であり、日記は時間の散歩である。どちらにせよ誰の目にも無意味で無価値で、私にとってはかけがえのない営みであることは間違いない。