5月7日(金)

    具体的なことを愚痴るが、エントリーの仕方が企業によってバラバラなのは本当にやめてほしい。ある企業は全部就職情報サービスから登録させ、ある企業は自分のところのマイページ登録から始まり、ある企業は就職情報サービス→自分のところのマイページ登録、または自分のところのマイページ→就職情報サービス→自分のところのマイページから説明会や試験やエントリーシートの登録、または説明会・試験・エントリーシートのどれかひとつあるいは二つを就職情報サービスかマイページでさせる企業、就職情報サービスの運営するエントリーシートに登録する企業、就職情報サービスのエントリーシートのあとになぜか紙あるいはメールで履歴書を提出させる企業、全部紙の企業、指定のPDFまたはWordまたはExcelの書式のエントリーシートを作成させり履歴書は別途で送らせる企業、会社説明会と筆記試験時に履歴書を書かせる企業、余計な写真あるいは動画を自己PRとして提出させるクソ企業、会社説明会参加必須の企業、会社説明会参加後あるいはエントリーシート提出後には自動的に面接ができる企業、そもそも就職情報サービスの種類も多くさまざまなところに情報を出している企業もいればひとつのところもある……とにかく、バリエーションが多すぎる。アホか。なんでタスクを一律化できねえ奴らがまとまって偉そうに「社会」面して新卒採用神話を宣えるのか。イカれているとしか言いようがない。この上にさらにインターンシップやらOB訪問やらコネやらが加わり、就職戦線はカオスを極めている。私のような既卒生はさらにカオスである。就職情報サービスは一応来年卒業する一学年下のものを利用し、「既卒可」と表記しているところを見るのだが、「可」は奇跡を意味することは就浪スタート時から薄々わかっていて、今でははっきりわかる。あいつら採る気はねぇ。つまり、死ねと言ってきているのである。
    その証拠に、祈られが続く。祈るんならせめて賽銭を寄越せ。
    あとこの日は、雨も降った。
    私は性格的に社会に適応できない上に学歴が笑っちゃうくらい低いのでこんな感じだが、高学歴の方々が性格的に著しく社会に適応できなかった場合このようなカオスに翻弄されることになるのは、たしかに辛いことかもしれない。だが、なぜ辛いのかといえば大抵が「今まで努力して勉強してきたのになんで……」という感想を持つからで、そもそも「努力」とかいうもので人の生が左右されちゃいけない、ということがわからないのならば、カオスを形成するアホ社会共と向いている方向は変わらないので、結果的に権力のあるカオスの方に取り込まれて終わりだということくらいは、高学歴ならわかっていてほしいと思う。でなければいつまでも「頭の良い子供である自分VS頭の悪い大人である社会」という対立図式から抜け出せない。それに安住しながら、やれ「革命」だの「リベラル」だのいうのなら、私は冷笑といわれようがバカといわれようが、中立の側に回るだろう。バカであることに居直ってはいけないが、バカも生きていいのが理想の国家であるはずだ。最近中立や両論併記を嫌がる万能感溢れる文学・思想クラスタの高学歴ネットユーザーが増えていてウンザリする。今の社会に私の居場所はないが、どうせ奴らの理想とするバカのいない「良い人だけの」社会にも私の居場所はない。どうせ同じ穴の狢のケンカ、勝手にやってろってんだ。
  『世界を物語として生きるために』読了。自分でも書いているとおり、さやわかの文章や考え方はいつも後からじわじわ効いてくる。次は新編日本古典文学全集『日本霊異記』小学館。

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