5月14日(金)
しばらく日記を書いてなくて、もちろんそれは就浪でなくなったからというわけでもなく、その間に色々なところに行ったり色々な人と会ったり色々な本を読んだり色々な隣人DQNの騒音と戦ったり色々な母親との喧嘩を経たり色々なお祈りメールを貰ったりしていたら面白いのだけれど、そんなわけもねぇのである。だが実際、行ったところも会った人も読んだ本もあったし、騒音も母親との喧嘩もお祈りメールもいくつか、私にちゃんと降りかかってきたのだった。
それとも、それはともかく、頭のなかでパツーーーッッッンという音が最近いつも鳴って、それがとうとう肌の上を細かに走り回るようになったので処理に追われていて、日記が書けなかった、とでも書こうか。本当のことよりそっちの方がなんかカッコいいじゃんか。私に降りかかる「本当のこと」は、夢での出来事みたいにいつも現実味がなくて意味ばっかりがある。意味がつきまとう。文章のかっこよさとは真逆である。
で、そんなことはどうでも良い。
こないだから薄々感じていて、最近になって特に強く感じるのは、死に待たれているということだ。誰に?親にかもしれない。世間にかもしれない。社会にかもしれない。世界にかもしれない。友達にかもしれない。自分にかもしれないが、とにかくそう感じる権利くらいはあるだろう、と私めがけてヒュンヒュン飛んでくるお祈り電子矢文の矢尻によって弁慶よろしく血まみれになりながら、それらを想像してみると、詳細は以下の通りになる。
まず、母親に死に待たれる理由はもちろん将来とか食いぶちとか、母の最近の口癖は「じゃあ早く社会に出てくれよ……そしたらわかるから」で、私への殺し文句であることを知っているので、少しでも意見が対立したり気に入らないことがあるとすぐそれを使ってくる。まったく申し訳ない。
世間の死に待ちとは、やっぱ母を心配する人たちとかからのものになるのだろうか。母は親も夫も人間のクズみたいなのばっかり引き当てた人生であるわけだが、歴代のクズ共はそれでも少なくとも就労はしていて、最終的にイッショーケンメーに育てた息子は就労すらできない就浪であるとは、いったいどういう仕打ちなのだ、可哀想に、超心配……という心情は、そのまま私に対する敵意に変わることは容易に想像できる。
次に、社会に死に待たれるというのはこれは言わずもがな、お祈り電子矢文を放ってくるのが社会なのだから。そこに含まれる主成分は淘汰と疎外と嘲笑である。あなたはどうか、社会の「ああはなっちゃいけない、失敗例」であってくれ、未来の子供たちのために……てか、いやいや、お前みたいなのがサラリーマンあるいはそれに準ずる社会人としての人生とか、ほんと無理だからさ、少なくとも弊社ではwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑あああああ爆ぜろ爆ぜろ爆ぜろ爆ぜろ爆ぜろ、爆ぜちまえ、ある日突然お前らの住んでるとこがガザ地区になっちまえ、あいつらの頭上にミサイルよ落ちろ、私を落とした社会人ども!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
次に、友達に死に待たれる理由。これは特に思いつかない。なんとなく書いてみた。そういや私、友達なんてほとんどいないんだった。ちょっとはいるけどね。
世界に死に待たれる理由。これはコロナだね。早く悲劇の総数の一人になった方がいいよ~という啓示が飛沫を含んだ空気から、確率の網をくぐり抜けて、私たちのもとへやってきている……っていう感じの宗教も、このまま今世紀がコロナの世紀になったら出てきて流行るかもしれない。いや、すでにあるのかもしれない。
で、最後。自分。これは昔から待ってる節があって、そのようなアホみたいにポジティブな自分が嫌いだった。生きている間から死を前提に何かするなんてどんだけ未来志向なんだよ。そりゃ未来は死だよ。そりゃみんなそうだけど、だからポジティブ(=死に前向き)であることが求められるのだけれど、残念ながら私はその死からの歓待を受け入れるつもりはない。
残念でした。バーカ。私は死にませ~ん。
私はてめえらの糞なゲームには巻き込まれませ~ん、というか、たとえ巻き込まれたとしても、最後まで生きることを諦めませんから、みなさんはどうか私が死ぬことを諦めてほしいですね。ちなみに私はめっちゃ優しいので、今「生き残ることを諦めませんから、」と書こうとして、直前で「残」という一文字を書かなかったのだ。自分の咄嗟のナイスな判断に今、ちょっと感動すらしている……
以上のことを母に伝えると、マジでなんの話してんだ……という反応しかかえってこなくてむしろビビったが、だからといって「現実の話だよ」と返すのも癪にさわるので、その場で返さなかった代わりに、ここで書いておく。これは私の日記の話だよ──私の、かけがえのない最後の権利、言葉の話である、と。