5月6日(木)

    5月5日(水)の日記は「祈られる。」という一文から始まる。しかし、これは書いてからしばらくして気がついたことなのだけれど(だから実は5月5日(水)の日記を投稿した直後である今、5月7日の3時17分に急いでこれを書いている──あ、今18分)、この祈られが発生したのはよく考えれば5月5日(水)ではなく5月6日(木)、つまりこの日なのであり、この日はめっちゃ晴れた。めっちゃ散歩日和であった。雨なんか降っておらず、だから犬の糞の絵本の話も最後の「全部、雨と祈りが悪いのだ」という文章も無効であり、真実ではないことがわかる。
    別に恥ずかしくはない。そもそも、恥ずかしさの基準が個々にあるから統合するために法が必要なのだ、たぶん。
    で、じゃあなぜ私はこんな思い違いをしたのか。単に頭が悪いからといえばその通りなのだが、それに乗じたかたちで、こんな晴れて暖かくて気持ちのいい最高な日に、そんなわけわからん闇の要素は要らんのだ、という心理が私のなかで働いたのではないか。それは嫌なことは全部嫌な日に押しつけちゃえという心理であり、そんな恣意的で強権的なドラマトゥルギーが、私の文章を書く際の指先にあったようだ。虚構の話だったらまだしも、現実の話を書く際にこれでは、普通にただの歴史修正主義であることは認めざるを得ないので、やはり私は左翼にはなれない。左翼、めちゃめちゃハードル高ぇ。
    改めて左翼であることの難しさと偉大さと尊大さと素晴らしさなどが知れたところで、さてこの日の話であるが、この日は『となりの関くん じゅにあ』の載っているコミックフラッパーの発売日だし、あとはWeb会社説明会があった。先月五日の日記に書いたとおり『関じゅに』は毎月私の人生そのものに衝撃を与えてくれており、毎月19日以降はニコニコ漫画で更新されるのでそれ以降アプリは開きっぱなしにしている。なかでも今回は本当に関横が極まれり、前回の関横に並ぶレベルの夫婦の営みが見れたことで、晴れたことと合わせたらこの日は最高の日であり、祈られと会社説明会が糞だったことと合わせても普通の日であったと言わざるを得ない。関横の寝室…………くっついたベッド…………関の好みを熟知する横…………家族めっちゃ好きな関…………とにかく、言葉にならない。6月には新刊が出るという。ありがとう。また生きる理由ができちゃったぜ。
    で、会社説明会が糞だった。

    どうやら斜陽バリバリの先進国・日本に残された道は、この期に及んで改革ではなく、開き直りであるようだ。だから斜陽なのであるともいえる。私が保守派に対して意味がわからないのは、もうじゅうぶん日本は保守的な社会であるのに今さら何を保守するというのか。こんなに改革しないのだからもういいじゃないか。もはや取り繕えなくなって「そうだ、私がやったんだ!」と崖っぷちで開き直るサスペンスドラマのお決まりの展開は、限界ヘルジャパンにおけるブラック企業の説明会を受ければ、とたんに現実味を帯びて、人間の本性を表すことのできる劇作における発明であることがわかる。
    だれが行くんだこんなとこ、とリモートで仕事中の母親に愚痴ると、「私だったら、どこにも行くとこがないなら行くけどね」という。「どこにも行くとこがない」ってそれつまり今の私じゃん、と思い、「生きるために働くのになんで死にに行かなきゃならんのか」と苦し紛れに言っておく。実際その企業はついこないだ自殺者を出したばかりなのだ。
    その後は本を読んで過ごしたが、読み終わらない。夜になり、日を跨ぎ、5月5日(水)の日記を書いて、それから今に至り、これを書いている。つまり、「わたしはとうとう現在に追いついてしまった」(高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』)。正直頭がぜんぜん回ってない。これ以上なんにも書けないから、好きな小説から意味なく引用しちゃうくらい疲れている。バカとは、頭の回転の体力の欠乏した状態をいうのかもしれない、とか考えるのも辛い。とにかく今日はこれで終わり!全部、社会と私が悪いのだ。

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