4月22日(木)
面接があり、とにかくがむしゃらにやる。あちらが何を求めているかなんて知る由もないので、私みたいなのに来てほしくなければ書類選考と能力検査を先にやるべきで、その二つをせずにいきなり面接というのは大丈夫な企業なのかどうか不安だが、私にとっては気が楽だ。気が楽とは受かるからではなくやり過ごせるからで、やり過ごしてやり過ごして、傷を負わない代わりに前には進まない。去年は心のなかで傷だらけになって尚前に進まなかったのでその分は良い方へ向かっている。一瞬の鋭いストレスのないかわりに時間的な範囲の広く薄い間延びしたストレスだけが、ぎとぎと纏わりついては、私を愚痴っぽく理屈っぽくする。私の理屈は私を助けない理屈である。理屈は言葉であり、面接は言葉のやり取りであるからどんどん積極的になれる分、規範からはずれていき、あちらからの評価は最悪で、落とされていく。その根幹にある原因は私が就浪であり将来の見通しが全く立たないことからくるストレスであり、つまりメビウスの輪、裏返っただけの一筋の問題の輪郭をめぐるだけで前に進まない。輪を脱するためには、輪の縁を何度も何度も踏破し、輪郭の上から輪郭を踏み砕いて壊して裂け目からすり抜けることで解放されるという希望を抱く以外に能力の低い私のような奴にできることがないことを、みんな全然わかってくれない。
就活生としての規範からは思いっきりずれた受け答えでいくつもの言葉を発してわずか15分の面接は終わる。去年面接をした際に志望動機の段階で一分以上言葉が出ずに沈黙したことに比べれば、面接というものに積極的になれてきているが、これは慣れというより事あるごとに思弁の解除を躊躇いなくするようになってしまっただけの躁状態からくるものであり、後悔はしたくてもできない。
その後今年一番のポカポカ陽気を体感するために海を見に行き日没まで座って『重力の虹』上巻を読了し次は下巻。苦労して読んでいてもいつもみたく嫌いになれないのが不思議である。世界史に疎いからこその興味かもしれない。
明日も面接がある。
面接のあとは会社説明会のあとよりも愚痴が少ない。面接はこちら側の発言が多いが、会社説明会における言葉の主導権はあちら側にあるのでされるがままの私の鬱憤がたまりやすいのである。その分面接は後になって自分を責めやすい。気をつけなければならない。