4月7日(水)

    最近は死ぬか死なないか、あるいは死んでんのか死んでないのかが自分でもよくわからなくなるような夢ばかり見る。三日前に見た夢はシン・エヴァンゲリオンの影響からか、人類が滅んでいくなかで逃げ惑うシチュエーションで、結局よくわからない大きくて白い光に包まれて、涙だけが出続けた。一昨日の夢はジェットコースターに乗っていたら事故で意識を失って、目が覚めると周りを崖に囲まれた野原にみんなでいて、元いた遊園地に電話が繋がったので確認してみると既に私達が死んでいることになっていてそこは生死の境界であると告げられるが、周りの崖や草や日の光は偽物で、どう見てもジェットコースター内のセットの一部である。けれどもう諦めて自分が死んだことにしてしまう、という夢を見た。昨日の夢は授業を受けていたクラス内で生徒が突然銃で武装する側と撃たれる側に別れて、私は撃たれる側で必死に逃げながら、閉ざされた扉の上の小窓からなんとか脱出する。その後下校時刻となって帰ろうとして下駄箱にいたら、さっき銃でみんなを殺していた側の一人が「ごめん、あんときの俺マジどうかしてたわ」と謝りに来たので、「ほんとだよ。あんな虐殺、歴史に残っちゃうぜ」と言い残しながらそのまま下校した。なお教室の風景は中学のものだったが、下駄箱や昇降口は小学校のものだった。
    今日と今日(4月7日(水))の次の日(つまりこれを書いている今日、4月8日(木))のあいだに見た夢は少し異質で、気がつくと中学時代の部活の面々と共にいてミーティングをしている。それは中学二年生のときの光景で、先輩が休みだったのか、後に部長になる同級生がたどたどしく音頭を取っていたが、そいつが後に部長になることを夢のなかで中学二年生の私は知っていて、だからこの光景は既に過去のもので現在はこれよりも未来にあることを私はわかっていて、それでも人生で一番楽しかった頃に戻れたことが嬉しくて泣いてしまう。私が突然泣き出したので周囲には驚かれ、そうだ今までの私がどうかしてたんだ、と安心する。とりあえず顔を洗ってこようとトイレの水道に行き前の鏡をふと見ると、そこには中学二年生はおろか22歳の自分よりも遥かに年老いて、頭は白髪混じりの肌は干からびたように皺くちゃになった私がいる。慌てて駆け出しみんなの元へ戻るが、みんなからは気づかれていない。バレていないならいいや、私は中学二年生なんだと自分に言い聞かせながら、みんなとワイワイ道を歩き始める。場所はなぜか縁もゆかりもないが所在地は知っている、中学のときは部活で数回通った他の地区の小学校の側の道であり、西日が差して地面に私とみんなの影が映る。するとそのうち、みんなの声だけして姿がなくなる。ただ影だけが残っている。みんなを呼ぶ声を出すがみんなはそれに気づかない。そうしているうちに私も身体が消え、地面に映る影だけになっている。それでも視覚は残っていて、焦りながらみんなを探し続ける──ところで、目が覚める。
    結末は悲しいが、それでも一瞬でも良い気持ちになれるのが良い夢の特徴である。だから、それは良い夢だった。死にたくはないが、どうせ死ぬならその前にもう一度だけあの頃に戻りたい。
    会社説明会をWebで受ける。こちらの姿を映したまま、懇切丁寧を体現するかのように必要のないクソ細かい説明をしてくださり、気が狂いそうだった。例えば、事務職とは何か、ということは別に自分の言葉にしなくたっていいのに、やってみようとして結局なんの意味もない苦痛な時間だけを過ごさせることになる。他の人たち(おそらく22卒)もげっそりとしていて、最後の任意参加である質問コーナーでは半数以上が退席していた。
    散歩に出る。再び関横を確認してしまう。中学二年生、とは『となりの関くん』の設定内の時期でもあるし、私が『となりの関くん』と出会った時期でもあるし、私が一番楽しかった時期でもあるのだ。
   『カント入門講義』をなんとか読了して、次はカント『判断力批判』上巻 岩波文庫。それから寝る。そして良い夢を見にいく。みんなに会いに行くのである。

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