ここが変だよ。ポリコレ信奉者
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10110000110110001010000000001010001001110001110001です。
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「ポリコレくさい」という批判は表現の自由に反する
このようなツイートがありました。
映画評論家の小野寺系さんについては、以前も私のnoteで何度か言及していますが、今回もちょっと触れておきます。
私の意見としては、ポリコレに配慮したものもそうでないものであっても、表現は表現であり、どちらが優れているということもないと考えています。表現したい人が自由に行えば良いのではないでしょうか?
それに「ポリコレくさい」というのは、それも批評の表現の一つです。これを理由として誰かの表現を制限するわけではないので、小野寺系さんが言うような「ポリコレくさい=表現の自由に反する」という理屈にはならないと考えます。
「SHIROBAKO」を雑な批判をした時点で…
この小野寺系さんのツイートに対して「どちらでも良い」という反応は数多く見られますが、その反応に対してこのように引用ツイートされています。
マイノリティの方々が活躍する場を広げるための理屈で考えてらっしゃるのですね。小野寺系さんにとっては「
では、小野寺系さんは、そういった作品を持ち上げられたら良いと思います。
しかし、この小野寺系さんは、今年の年明け前後に映画版「SHIROBAKO」のキャラデザインに対して「様々な女性が描かれていない」と批判をしていました。
はっきり言ってしまえば、絵面の表面の部分でしかモノを判断していないもので「本当に映画評論家なのか?」と思われるくらい、非常に雑で浅薄いツイートだったと感じました。SHIROBAKOはピーエーワークス作品を中心に多くの作画監督を務めてきている関口可奈味さんが担当していますが、そのほかの作品を見れば、小野寺系さんが指摘するような「様々な女性を描けていない」という批判は、非常に視野の狭い意見であることが明らかになります。
つまり「SHIROBAKO」に対して「様々な女性が描かれていない」というのは、ただ舞台になった武蔵野アニメーションが若い女性が多かった…だけに過ぎないのです。
多様性を謳いながら多様性を否定する小野寺系
自分以外の人に「ポリコレくさい」と言われたとしても、小野寺系さん自身が良いと思うなら、評価すれば良いと思いますが、逆に「多様な女性が描かれていない」という作品に噛み付いているようだと、ただの押し付けにしか過ぎなくなります。
「SHIROBAKO」を批判している小野寺系さん本人が気づいているのか分かりませんが、別に「ポリコレに配慮した作品を持ち上げる」のは良いと思います。それに対する反発が多少あったとしても、自分が良いと思ったものは持ち上げればいいでしょう。
しかし「ポリコレに配慮していない」ことを理由として、その他の作品に対して批判する行為は、やはり「押しつけの多様性」に当てはまります。作品の舞台が作品ごとで多様で、作品自体の個性もそれぞれが際立ってくるものですが、小野寺系さんの主張を丸呑みして作品を作ってしまったら、全部が全部似たような作品になってしまうだけでしょう。
つまり、他所の作品が当てはまっていないことを批判する以前に、自分が良いとする作品をただ持ち上げてればいいのです。
「ポリコレくさい」のはあなたの好みでしょ?
もう一度このツイートぉ見てみましょう。
このツイートを見ると「ポリコレくさい」という批判に対しては、表現の自由に反すると言う反面、「エロ表現」「萌え表現」に対しては、どのような批判も許されると考えているように見えます。
小野寺系さんが「ポリコレに配慮した作品によってマイノリティにチャンスを与える」など発言していますが、セクシーな表現を取り入れることによって、そのような作品に出演することを夢見ている女性の受け皿になることは考えられるでしょう。つまり「チャンスを与える」という意味では「ポリコレくさい」ものも「エロ表現」「萌え表現」であっても変わりありません。
しかし、小野寺系さんは「ポリコレに配慮した作品」を高く評価するものであって、「エロ表現」「萌え表現」というものは彼の中での評価基準が低いものと考えれます。「ポリコレに配慮する」のも「エロ表現」にしても、どちらも許容するものこそ「表現の自由」であります。
そこにどちらが素晴らしくてどちらが蔑まれるものか、表現の種類によって決まらないものかと思いますが、小野寺系さんにとっては、ポリコレ表現はマイノリティにチャンスを与えるから「エロはポリコレ表現よりも低く扱われるもの」と考えているのかもしれません。
だが、世の中はそんなに単純なものではなく「どのような表現が人を救うのか?」については、人それぞれで大きく違うものです。1000人いれば、1000通りあると考えられるでしょう。「ポリコレに配慮した表現」で救われる人もいれば、とんでもない「エロ表現」で救われる人も当然いると考えられるでしょう。当然、最近話題になっているAV新法についても、AVによって救われる人がいることも十分に加味するべきです。
「ポリコレくさい」というのを表現の自由を萎縮する…というように小野寺系さんは言いましたが、他の表現でも同じようなことを言えるので、結局のところ、自分の好きな表現を批判されたから、ムキになってツイートしただけじゃないかと私には感じられました。
昨今の映画界では、確かにポリコレに配慮された作品が増えてきており、それによって多くの不満の声が聞かれているのは事実です。確かに自分の期待していた作品が、舞台設定とは別に政治的な思想がねじ込まれたところを見ると、気分が良くならない人もいるとは考えられるものです。
ポリコレ信奉者にとっては「正しい」ことだと思いこんでいるフシがありますが、実際は自分たちの好みを押し付けているだけに過ぎないでしょう。
そもそも「正しい」「間違えている」のベクトルで考えるものではなくて、ただ「好き」か「嫌い」かで考えるものではないでしょうか?
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