見出し画像

映画評論家を批評したら、ブロックされた件について

こんにちわ。
10110000110110001010000000001010001001110001110001です。
呼び方はみなさんにお任せします。

有料記事ですがすべて読めます。
良かったら投げ銭お願いします。

批評したらブロックされてしまいました

先日は「劇場版SHIROBAKO」の作画を批判した、映画評論家の小野寺系さんを批評するnoteを書きました。

この際、ご本人様にも読んでもらうのが良いのかと思いまして、このようなツイートを行いました。

しかし、何も返答が来ずに、昼にツイートを見ようとしたら、こうなっていました。

あらゆる反論ツイートにリアクションを起こす割には、私には即ブロックなのですね。これは私には「反論がない」と認識してもよろしいのでしょうか?もしくは「何も言えない」ということと解釈すればいいのでしょうか?

「視野が狭い」「表面しか見ていない」と書きましたが、別に私は「バカ」「アホ」など侮辱的な言葉をnoteに書いたわけではありません。

反論も無視もブロックも自由ですけど…

ブロックされたことについては、いろいろ思うところはありますが、反論も無視もブロックも小野寺系さんがご自由にやっていただければいいので、私は寛大に受け止めようと思っています。

noteでいろんなことを書いてきましたが、私の基本的なスタンスは「読んでいただける方に任せます」というスタンスですので、どうぞご自由にしてください。

しかし、私としては、noteで自分の意見で表現しただけに、どういう感想であっても構わないですし、逆に「10110000110110001010000000001010001001110001110001を評論する」という題目で、私のことを徹底的に批評していただいても構わなかったのですが、ブロックされてしまった以上は仕方がありません…。

小野寺系さん、もしや相手を選んでます?

ただ、気になる部分があるので、私も他のアカウントからログインして、どういうツイートをしているのかチェックしてみたいと思います。

なるほど…。

やはり知念実希人先生のように、10万人クラスのフォロワーを抱える有名アカウントには反応するそうですね。影響力が大きそうなアカウントには、反応せざるを得ないのでしょう。

そして、フォロワーが少ないアカウントでも、小野寺系さんがマウントを取れそうなアカウントには反応するみたいですね。自分の面目が保つことができそうなツイートに対しては、どうやら反応するようです。小野寺系さんは「相手を選んで喧嘩をする」とも推測はできます。あくまでも推測ですが。

おそらくかなりの量のリプライと引用ツイートが来ているだろうと予測するので、すべてに反応しなければいけない…ということもないです。

しかし、上のツイートのように「私はブロックしない」とおっしゃる小野寺系さんという方が、大量のリプライと引用ツイートがある中で、私はブロックリストに選ばれたと考えられるのですね。これは興味深いものです。

他の人にツイートを見られても、私には見られたくないのでしょうか?

私も「強要できるような拘束力」はありません

しかし、面白いものです。

自らのツイートで「評論家やSNSの意見に、作家に強要できる拘束力はありません」とツイートしていますが、これは私のnoteに関しても同じことを言えるのですね。

私がいくら小野寺系さんを批評したところで、小野寺系さんの批評を止める拘束力などありませんし、小野寺系さん自身がご自由にされたらいいと思います。

自分が批評してもいいけど、批評されるのはダメですか?

ただ、「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」という言葉があるように、批評家も逆に自分が批評されるくらいの覚悟を持っているものではないかと私は思います。あまりにも的外れで浅薄い批評をするようなことがあれば、評論家であっても厳しい批判に晒されるのは当然でしょう。

インターネットが普及する前は、映画評論家は一方的に批評できる立場だったかもしれません。しかし、SNS、ブログ、動画サイトの充実により、今では誰でも発信できる世の中になってきていますし、私のnoteのように「映画評論家を批評して全世界に発信する」ことも可能になっているのです。

サッカー界では、ピッチに立つ選手だけではなく、試合を実況するアナウンサーや解説者も批評の対象とされています。上の本の著者の元日本代表の戸田和幸さんのように、日本代表の相手選手の情報も集めて、試合中にしっかり名前を言って、戦術的な解説もきめ細やかな解説で好評を得ています。

しかし、逆に的外れの指摘を繰り返して、視聴者に顰蹙を買う解説者も少なからずいます。試合と関係ない情報を垂れ流す人もいますが、何よりもピッチ上の戦いを楽しみにしているファンにとっては、このような実況・解説はノイズにしかなりません。

「サッカー」「映画」はメインディッシュで
「解説者」「評論家」は薬味みたいなものですよね。

つまり、サッカー解説者はサッカーがないと成立しないように、評論家はいくら格好をつけても映画がないと存在意義がありません。

映画評論家の世界も私はサッカーと同じで、評価対象になるものと考えていますが、どうやら私をブロックした小野寺系さんはそうでないようです。

最後に

最後に触れておきたいことがあります。

12年前のことですから、考え方が変わってもおかしくないことですが、小野寺系さんは、以前に「町山のことを書いたら町山にブロックされた」とおっしゃっているのですね。

12年後には、まさか町山さんと同じことを、小野寺系さん自身がやってしまっているとは面白いものです。

ただ、別に私は「器が小さい」など言うつもりはありません。
読んでいただいた方々が感じたままでいたらいいと思います。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?