『イワノキツネ』第2部 №17
それは大狐が那須野に落ち延びて間もない頃、傷を負った一羽の鶴が、突然空から落ちてきた。地獄谷のガスは有毒で、傷を負っていればなおのこと、生きる見込みは無いだろうと、大狐はほおっておいたが、さては大狐の仕業だと人間達に悪者扱いされるのもイヤなので、仕方なく近所の鹿の湯に鶴を運んでやった。
鹿の湯の番頭は動物好きで、喜んで鶴を介抱すると、鶴はみるみる元気になった。傷も癒えて故郷に帰るという頃、鶴は大狐の元へやってきて、治ったお礼にと白い石をいくつか置いていった。
大狐は意味がわからず、そのまま何年もそこに置いておいたが、ある時フラリと若い僧が那須野へ来て、それは間違いなく故郷の石だと泣くと、1つ持っていった。
また何年かすると、今度は徳の高い僧が来て、いつかの若い僧がそうだったように、それは今はなき故郷の貴重な忘れ形見の石だと泣く。徳の高い僧は、石に不思議な異国の文字を刻み、お守りとして大切にしてほしいと言って去った。
文字が刻まれた石は、おぼろげな表情で地獄谷へ迷い込み、思い悩み、さまよっている人間達に、密やかに持ち去られた。石がなくなると、元気になった鶴がはるばるやって来て、新しい石を置いていった。大狐は、見様見真似で文字を刻み、揺れ惑う人間達に石を授けた。しかし、鶴も年を取り、地獄谷から石を持ち去る人間もいなくなると、いつしか大狐が鶴の健康を気遣い、この島まで石を持ってくる様になっていた。
大狐が語っている間、猫たちは海岸にもう1つある変わった椅子でゴロゴロと転がり、移動で縮こまった体を各々伸ばしていた。小野さんはしっかりと聞いていたが、もうクタクタで、キツネのフカフカした尻尾にくるまり、半分夢見心地で聞いていた。
大狐はひととおり語り終えると、あまりにも長過ぎる自分の歴史を振り返るように、椅子に置いてある尻尾を一本ずつ眺めて、ふぅとため息をついた。
尻尾が2本あるチョビヒゲ猫と、かつては2本あった尻尾が1本になった猫さんは、大狐の多すぎる尻尾の弊害に少し同情した。尻尾が多いことはありがたく、霊験あらたかではあるのだが、それ故に、周りを取り巻く事象はどうしても重たくなり、しがらみのような複雑性と、独特な深刻さを伴うのだった。
そんな重たい尻尾の1本にくるまりスヤスヤと眠る"尻尾が退化した小野さん"の穏やかな寝顔を見て、チョビヒゲ猫と猫さんと大狐は、なぜだかほんの少しだけ、安心した。